《都会とは 心を蝕む 魔宮窟》

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 とんでもない悲劇が起こりました。幼気な子どもの命が凶刃に無惨に奪われてしまいました。親御さんの悲しみはいかばかりかと察すると胸が痛みます。詳しいことはこれから解明されていくのでしょうが,一報では精神安定剤を多量に摂取し自棄になっている愚かな男の凶行です。自殺しきれずに死刑にしてくれという積もりのようです。
 人は弱いものです。自棄になるときもあります。深酒を飲んで自分を痛めつけようとしたり,薬に逃げたりする人もいます。悲しいことですが,それでも抑えがたい思いを自分の中に何とか納めようとしているだけ,同情の余地があります。
 今度の事件のように,自分を痛めるのではなく最も弱いものに刃を向けていく卑怯さは,憎むべき悪行と化します。ムシャクシャして自棄になり通りを暴走する愚かな集団も,同じ卑怯さの臭いがします。また時に話題となる小動物に危害を加えて喜ぶ輩も同類です。現代社会が生み出したモンスターのオンパレードに,人は不気味な心の闇を感じはじめています。
 かつて人が大自然と共存して暮らしていたときは,自棄になりたいことがあると浜辺に出て海に喉もつぶれよと怒鳴ったり,山に出かけて大きな木に木刀で渾身の力をこめてうち掛かったりしたものです。とても歯が立たない自然の懐に飛び込むことで,その大きさに圧倒され,小さな自分を思い知らされたものです。同時に,自分を押しつぶそうとするほどの悩みに見えたことも,実はちっぽけな悩みであることに気付かされました。自然こそが人の心を浄化してくれる唯一の恵みであったのです。
 人が都会に住むようになって大きな自然から離れたために,人の心が拠り所を失っています。生きることの厳しさに対する謙虚さが忘れられ,試練に感謝する体験をしなくなりました。都会では人の世界だけに閉じこもるので,生きる上では大したことではない人間関係上のトラブルでも,過大に感じてしまいます。自然という畏怖の対象を失って,人は傲慢になりました。その傲慢さは人の心の弱さなのですが,心が裸になっている現代人には理解不可能です。
 自然を大切にという物言いも不遜です。不遜であると感じないことがすでに傲慢さの現れです。人が自然を保護できるという思い上がりは,偏狭な都会人の錯覚です。快適な暮らしを手に入れた絶対君主は,人のねたみや恨みを恐れるようになり,あげくには自分を信じられない心の迷宮を抱えてしまいます。自然を見失うということは,心の衣装を失うことなのです。

(2001年06月10日号:No.62)