《浮ついた 心をつなぐ 信の糸》

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 遊ぶ金ほしさに窃盗を重ねる若者や,現金を頂いて職権を不正使用する大人が後を絶ちません。ニュースにはまたかという反応しかできませんが,それにしてもちょっと考えれば分かる過ちが繰り返されるのは愚かさの極みです。自分は大丈夫という気になるのでしょうが,その甘さが愚かなのです。
 天網恢々疎にして漏らさずという古諺を知っていても,天といった概念を持てない現代人には無用なものと見なします。社会という複雑な仕組みに働く不思議な力を天の采配という形で実感していた昔の人の方が賢かったと言えるでしょう。わけの分からないものは信用しないという小賢しさが,本当の知恵を失っているようです。
 賢さとは知らないことに謙虚になることです。じゃんけんをするとき運を天に任せていますが,心のどこかに天は公平であるという信頼があるからでしょう。人がどうにも見通せないことはたくさんあります。それを意識するために天といったものを想定してきたのが,人の知恵だったのです。
 今日の運勢が新聞にも,テレビでも紹介されています。誰が人の運について語っているのか知りませんが,それなりの方法で決めているのでしょう。血液型B型,水瓶座の人はたくさんいることでしょうが,みんなが同じ運勢というのも不思議な話です。もちろん運勢を信じ込む人はいないでしょうが,何かしら人智の及ばない運命といったものがあるかもしれないという感覚が残っているようです。
 人には自分の都合のいいようにものごとを考える癖があります。宝くじを買うときは当たるかもしれないと思っています。そんな他愛のないことであれば人生を楽しくできることですから,いいことでしょう。でも,悪いと知っていることに手を出すとき,自分を見逃してくれるだろうと高をくくるのはいただけません。天とは宝くじには当てさせてくれませんが,悪事にはきっと報いを与えてくれるものです。そう信じていた方が幸せになれるようです。
 最近,お年寄りの口から,ありがたい,もったいない,罰が当たるという言葉が聞かれなくなりました。それと同時に慎ましさや落ち着き,しとやかさや威厳,和やかさや風格,そんな人となりが見えなくなってきています。おそらく心に信じるものを持たないせいでしょう。信心といったものではなくても,何かを芯として信じることが人を支えてくれます。天に恥じないという自信でもいいのでしょう。ご先祖様に見守られているという心でも,人に後ろ指をさされない信条でも,どんなことであっても,何かを心に秘めている人は美しく見えます。

(2001年06月17日号:No.63)