《型に入り 溢れ出ていく しなやかさ》

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 「水は方円の器に従う」と言われます。固有の形をもたない水は容器の形に従って四角く(方)も丸く(円)もなるという現象を例えとして,『実語教』に「水は方円の器に随(したが)い、人は善悪の友に依(よ)る」とあることから,伝えられてきました。言い換えると,人は環境や人間関係に感化され,よくも悪くもなるということで,孔子が『論語・為政』で「己れに如(し)かざる者(自分よりも劣っている者)を友とすること無かれ」と言っていることにも通じます。「朱に交われば赤くなる」という言葉もありました。人は器という環境に絡め取られるので,良い器を選びなさいというアドバイスです。
 違った考え方をしてみます。若い人が仕事を選ぶ際に,自分に合った仕事を探しています。仕事が自分に合わないからと辞めていくこともあります。不況の中では,辞めるまで思い切れなくなっているかもしれません。自分に合う世間があるかのようです。仕事は世間のあれこれが絡み合って,それぞれの方円の形になっています。仕事に就くとは,その方円に水のように合わせていかなければなりません。方円に合わせる柔軟性がなければ,仕事には就けないということになります。
 資格を持つということは,世間が求める方円に合わせる自分を持つということであり,仕事に就く用意ができていることになります。自分に合う仕事ではなく,仕事に合う自分であるかという判定が必要です。それでは自分がないというおそれが出てきます。会社の中で人が歯車になるというモダンタイムズの世界が想起されます。
 そこで思い出しましょう。水は方円の器に従いますが,器から溢れ出ていく力を持っています。世間の求める方円に合わせながら,その方円を越えていくことができるのです。方円に満足しているから,方円に絡め取られます。方円に合わせられる水ではなく,合わせる水であればいいのです。チャプチャプしているうちに,器を越えて,あふれていけばいいのです。
 創造は,時として型破りです。それまでの方円という世間の型を飲み込んでいく発想が現れると,新しい器が創り出されていきます。溢れ出るだけでは,世間に馴染みません。何らかの型が産み出されて,周りとの整合が取れなければ,はじき出されるだけです。捉え所のないものは,分かってもらえません。あふれる水の前で,人はどう扱いようもなく往生するだけです。容器が必要です。世阿弥の守破離を思い出します。

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(2012年03月04日号:No.623)