家庭の窓
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新聞の小欄から・・・。「就活メーク決定版!」「内定確実メーク」。女性誌に就職活動中の学生に向けたメークの特集記事があった。面接をするのは40〜50歳代のおじさん。好かれるよう清潔感のあるメークを−。つけま(つけまつげ)は厳禁! 素肌っぽさがうける−。
小欄の展開は,この特集記事を目にしたことに端を発して,面接するのはおじさんばかりではない世の中なのにという疑問,面接で大切なのはメークではなく社会との関わり方なのにという助言へ続き,最後の落ちがおじさんと向き合っている経験から,女性のメークが変わって気付く人はほとんどいない,でした。
そこまで読み終えて,連れ合いの服装が今日何であったかを思い描けない自分を思っています。連れ合いを面接するつもりではないので,目に残っていません。常々連れ合いに言われているのは,見苦しくないように身繕いに気をつけるようにということです。汚れていないかなという程度のチェックしかしないので,身繕いは想定外です。ましてや人様の服装など,全くと言っていいほど,無関心です。だからといって,人に無関心ではありません。笑顔に応えてくれる人は,大好きです。
おじさんたちは女性のメークの変化を見ようとしていないと言われて,平均的なおじさんであると言われたような気分です。何気なくそう書いて,ハタと思い出したことがあります。大部分のおじさんの特徴は「平均的」な特徴であると考える間違いです。
平均的な日本人と言えば,どこにでもいる大多数の日本人のことです。つまり,一番多いのが平均という認識です。しかしながら,数学的には,平均の人が多いと決めつけるのは間違いなのです。大学生も間違えているという調査結果が発表されていたことを思い出しました。
自分の周りにいるたかだか数十人のおじさんの特徴を,世のすべてのおじさんの特徴とみなすのは,他愛のないおしゃべりレベルでは許されるでしょうが,公の意見としては雑な印象を受けます。限られた経験知を簡単に一般知に転換することは多く見受けられます。人は自分の経験の中から物事を見ている,その自戒を久しぶりに思い巡らせています。
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