《在るものは 明日になれば 在ったもの》

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 部屋の隅にあるケースの中に,眠ったままのレコード盤があります。プレイヤーがないので聴くことができません。以前いくつかのレコード盤はカセットテープに移しておいたので,そちらで聴くことはできますが,大部分は死蔵品です。ところで,同じようなことは続くようで,VHSビデオテープが死蔵リストに移ることになりました。録画したテープが少しばかりあり,中にはテレビ出演した際の録画もあるのですが,視聴できません。
 CD,DVD,ブルーレイディスクへと,移り変わっていく中で,置き去りにされていくものが出てきます。記録媒体の変化に応じて,こまめに再記録の作業をしていけばいいのですが,思い立つ気力が湧いてきません。その背景には,古いものを懐かしむより,新しいものに触れていきたいという気が強くあるようです。
 自分の時間を思うがままに設計したいという気はありません。好きな趣味,例えば音楽を聴くといったことなどを,予定の中に組み入れるという発想が生まれてきません。いつの頃からか,追いかけられていることに慣れて,来るものを拒まないというパターンができてしまっています。次はどんなことに出会えるのか,出会いを楽しんでいます。結果として,音楽が聴きたければ,放送中の音楽番組に耳を向けます。そこにたまたま流れてくる音楽を聴いて楽しみます。これを聴きたいというこだわりが薄いせいで,始めて聞くような新鮮さを感じることができます。
 こんな音楽があるんだ,こんな話があるんだ,こんな出来事が起こるんだ,出会いは常に刺激的です。出会いのチャネルが,テレビ,ラジオ,インターネット,メールマガジンなどの情報機関のほか,人との出会いというものもあり,その処理のためにかなり多忙になりますが,苦にはなりません。
 ひとつ気をつけていることは,出会った物事をすべて我が物にしておこうという欲は控えています。今の自分に必要なものだけを取り入れて,いつか役に立つかもしれないといったものは捨てていきます。自分が抱えていられる容量は高が知れていますし,抱えすぎると動きが鈍くなります。身軽であることが心身の健康には有効であると思っています。今の瞬間を今の環境の中で精一杯生きることに熱中したいだけです。

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(2012年05月20日号:No.634)