《講演の 要をつかむ 難しさ》

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 ある組織の総会において、研修のために講演が催されます。役職上,講演の謝辞を述べる役割が張り付けられます。例年のことで慣れているように思われますが,確かに要領としては慣れていると言えますが,中味はその都度の真剣勝負です。今聴いたことに対するコメントや感想を込めて,聴き手の思いをお伝えしなければなりません。講演を聴き取り,それに対する自らの反応を客観的に捉えて,新しく何が生まれたかを明らかにしなければなりません。
 「素晴らしいお話しに,目から鱗の感動を与えていただきました」といった,どこでも通用する謝辞は失礼でしょう。もっとも,講師の方では,自分の話したいことを話してしまえば,どのように受け止めてもらえたかはどうでもいいのかもしれません。ただ講師経験からは,長い講演の中のどの部分が聴き手に反応を引き起こしたかというフィードバックは,案外にうれしい情報です。それが伝えたかったことであればホッとする一方で,話の添え物が受けたりすると驚かされます。力まないですらっと提供した方がよかったのかなと考えさせられたりするのが面白いのです。
 今度の講演はタイトルから推し量ると,子どもに体験をさせようという実践のようです。聴き手としての守備範囲の中で,どのコースに話が入ってくるのか,ある程度の予測をした構えが必要です。子どもの生きる力という範囲の中で,体験が占めている位置を整理しておくことにします。
 子どもの生きる力の3要素を想定してみます。いろんな物事は3つの基本要素からなるという構成が馴染みのあるものですので,なぞらえてみます。子どもが生きる上で必要とする3要素は,「愛情,体験,言葉」であると考えます。愛情は家庭で,体験は地域で,言葉は学校で提供されると想定することができます。この構造に対して,講演の内容がどのように飛び込んで絡まるか,楽しみに聞き届けることにします。(いったん筆を置き,続きは講演を聴いた後で)。

 講演は講師の活動から生まれた限定的な歌から始まりました。ギターの弾き語りでした。お話しは体育会系の乗りでなされている事業活動の紹介でした。講演というより,事例紹介であって,分かりやすいものでした。話のつぶてを受けるキャッチャーの手応えが,どのコースをついてきたかを知るセンサーになります。タイトルから想定していたコースからは少し外れていましたが,地域での体験という範囲ぎりぎりのストライクでした。(・・・ということにしておきましょう)。
 謝辞は,こうなりました。講演が歌で始まりましたので,謝辞も歌で始めますとして,宇目の歌ゲンかを歌い上げてしまいました。パラパラとした手拍子がついてきました。「いらん世話やく他人の外道・・・」という歌詞です。タイトルからの連想ですが,歌の意味が講演の内容と重なっていたこと,昔の子守歌の中に子育ての本質があるのに忘れられていること,子守をする女の子が子守歌として子育てを身につけていたことなどが,子どもを構い過ぎているという現状に対する見直しの実践であった講演と響き合ったという感想を先ず述べました。
 知識より実践をという講演のテーマについて,そのことを,話の言葉遣いとして,名詞ではなく動詞を使って話されたことに見たと述べてみました。体験という名詞をつかって理解し,その実践事例として触れ合うという動詞につないでいる点を例示しました。さらに,感覚としての触覚は,他の見たり聞いたりといった感覚と違って,普段から意識されることはあまりありません。しかし,触覚が失われると,人は立つことも座ることもできず寝たきりになるほど大切なものであり,その触れ合うということの直接性に意義を見つけ,人や自然との触れ合いを中心に据えた活動の大事さを教えていただいたと学びの成果をお伝えしました。素晴らしいひとときをいただき,ありがとうと結びました。(といったようなことでした)。

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(2012年05月27日号:No.635)