《唐突に 流れを止める こともあり》

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 街中の交通信号は連動して動作しています。一斉に青信号になるので,複数の交差点を一気に通り抜けることができます。円滑な流れを生み出す工夫です。ところが,所々に,一連の動作から外れた信号機が挟まっています。歩行者が横断する際に押しボタンによって信号を変えるようになっている交差点です。流れに乗って走っていると,思わないタイミングで赤信号に出会います。
 ちょうど信号にかかってしまうと,全体の青信号の中で無理矢理停止させられて,いざ青信号になっても,全体が赤信号の列になっているので,少しの前進に止まります。そのような信号がある道をよく利用するので,またかと諦めていますが,急いでいるときには,先に行けたのに邪魔をされたといった感じがあって,苛つきます。
 運転する立場では走っているのですが,信号を操り設定をしている立場でも,車を想定通りに走らせていることになります。運転者は走っているつもりですが,道路管理者に走らされていることになります。ただ,通りかかる歩行者の意向による押しボタン式の信号によって,車の流れが乱されます。車の走行に対しては,想定できない不規則な要素が絡んできます。一定のリズムで予測のできる流れの中に,ふいに飛び込む不規則な断絶が,流れを乱します。
 人は不規則な事象は苦手です。予定調和的な事象の中であれば,リズムを合わせることができるので,気分が落ち着きます。一定の間隔で車が流れていると平静ですが,不意に止められると,どうして止めるんだという,理由を問い詰めようという気になります。行く手を遮られるというのは,気分を害することだからです。
 押しボタン式の横断信号は,隣接する信号と同期して動くように設定できるはずです。それをしないでいるということは,それなりの理由があるのかもしれません。すべてを一律に動かすと,あまりに設計しすぎてしまうことになります。多少の不規則を紛れ込ましておく方が,全体として安定的に推移する効果が期待されるのかもしれません。
 かつては,完全なものには魔物が取り付くという謙虚さがありました。例えば,寺院の社屋を建てるとき,屋根の頂上に数枚の瓦をわざと置き忘れておくといったことをしていました。未完であるという状態にしておけば災いが取り付かないという信仰でしょうが,たくさんの経験から生まれた知恵だと思われます。人が完成したと考えても,物事は人が想定できない世界にあるので,いわゆる想定外のことが起こりうる可能性を覚悟するという謙虚さです。
 世の中のことは人の思い通りにはいかないもの,と誰もが納得させられているはずです。逆に考えて,人の思惑通りに事が運んだら,怖いでしょう。誰もが私の思い通りであるべきと主張すれば,物事は硬直して停止します。もちろん,あるべき状況を見通す能力は神ではない身には備わってもいません。想定外のことを許容しながら,生きていく謙虚さが気持ちの平安をもたらしてくれるようです。

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(2012年06月03日号:No.636)