《三度目に 意味の扉が 開かれる》

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 いつものようにバス通りから右折して脇道に入り,建築中の家の横の右カーブに沿って車を走らせると,目の前,右前方に電信柱が3本,迫ってきました。ほぼ真っ直ぐな道路で,左側は住宅が建ち並び,右側は田植えの終わった田んぼが続いている開けた空間でした。開放感を感じていた風景に,なんの線も掛けられていない電信柱がただの3本だけにょきっと道に沿って植え込まれています。道が急に狭くなったような感じを受けます。数百メートルの中で一部でしかないのですが,妙に圧迫感があります。
 3点が並ぶと,それは一つの線のイメージになり,空間を切り取るという認識になります。囲碁の盤面で,数個の石を並べるだけで場を切り取る機能が現れるのに似ています。人の認識の働きは面白いものです。点を点として見るのではなく,点と点の関係を見ようとしています。関係の中にある意味を判断しようとしています。枯れ尾花でしかないものから幽霊を読み取ってしまう判断力です。
 謎かけ,謎解きという楽しみは,隠された関係ラインを見つけるプロセス上にあります。株取引に狂奔するというのも,断片的な情報を結びつけて意味を読み解く処理に依るという点で同じでしょう。テレビから聞こえてくるさまざまなコメントにしても,事実という点をつないでみせることです。掛けた部分を理屈で補って,いかにもそこに一連の流れがあるかのように描き出してくれます。
 ある人から新しいことを聞きます。そんなこともあるのかと思います。それほど時をおかずに,別の人から,同じようなことを耳にします。似たようなことがあるものと偶然性を感じます。さらに別の人から,同じことを聞かされます。二度あることは三度あるという言葉の通りに,偶然から必然にわけなく移行していきます。2回は偶然,3回は必然という判断の境界が存在しています。そういえば,二人の間はただのつきあい関係ですが,三人の間は社会関係になります。夫婦に子どもが生まれると家族になるといった認識です。
 道にそびえ立つ電信柱が引き起こす印象を,1本では,2本では,3本では,と確かめてみたかったと思います。これから本数がさらに増えていくと思いますが,印象がどのように変わっていくか,楽しみにしています。

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(2012年06月10日号:No.637)