《ときところ 違いを背負い おもしろい》

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 世間一般の人の有り様を考えるとき,その人の個性のせいにすることがあります。人を世間から隔離してしまうと,何かが失われていきます。物事の中味を考えるときに,その器の質,環境の品質を問題にすることが必要です。ぬか床のぬかがぬか漬けの味を左右するのです。人に絡まっている世間のぬか,その一つが言葉です。使われている言葉の品質が,人の有り様を左右します。
 前向きに生きるという言い方があり,それによって人は前向きな行動を実現していくことができます。後ろ向きの生き方は,行動を抑制して,立ち往生するだけです。別の言い方もできます。例えば,気持ちを外向きにすることも大事です。なぜなら,この頃はとみに,気持ちを内向きにしている人が多いように思われるからです。おそらく,世間のいろんな物事が人を内向きにする要素を濃厚にはらんでいるのでしょう。
 よい例がネット社会です。外に開いている窓口のように見えて,実のところつながっている人の気持ちは内向きです。そんなことはない,人とつながるためにネット世界があるといわれるでしょう。確かにそうでしょうが,気がついてほしいのは,つながっている人が皆知り合いだということです。見ず知らずの人とのつながりは,拒否されています。それが内向きということです。仲間内のつながりは内向きであり,見ず知らずの人とのつながりが外向きであると,考えてほしいのです。
 言葉遣いが乱暴になっています。自分の発した言葉が,それを聞いた人にどのように聞こえるかという気配りがされません。以前,KYということがいわれましたが,同じことです。言葉は発すればいいものという勘違いが横行しています。言葉の最も基本的な礼儀は,あの人に伝えたいという思いに乗せて語ることです。ただまき散らすだけの言葉には,誰に向けてという情がかけています。だから,言葉遣いが粗雑に聞こえてしまうのです。テレビという器からから放り出される放言を聞き慣れて,言葉とは相手が聞こうが聞くまいがお構いなしに,放り出すものと思い込まされています。
 つぶやきという言葉の形態が,コミュニケーションの表舞台に紛れ込もうとしています。つぶやきは基本的に独り言です。自分の思いからほとばしる言葉のしずくです。しずくを他人が受け取っても,言葉は話者の思いは置いていくので,伝える意味はほとんどありません。コミュニケーションは相手に伝わるように,文章化されていなくては成立不能です。つぶやきでコミュニケーションできているというのなら,それはやはり内向きの間柄でしかありません。
 どの時代に生きていたか,それが人の有り様をうかがわせるのも,人は生きている環境に合わせた生き方をしているからです。異世代の方とつきあうことによって,何かが違うと感じられて,結果として自分の有り様が相対化されます。世代が違えば常識が違うという発見も楽しむことができます。言葉が伝えてくれるものを,きちんと聞き取りたいものです。

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(2012年07月08日号:No.641)