《しなさいと いわれたことを すると決め》

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 夏休みに入って,子どもたちが朝のラジオ体操をしています。数年前から付き合っています。体操はメリハリを利かせてキビキビとするものと思っているのですが,子どもも親もさせられているといった様子です。寝起きで眠いということもあるのでしょうが,シャキッとしていません。人は人と,自分の体操をしています。
 時々,ラジオから体勢に対する指示があります。例えば「手を腰に」と聞こえてくるのですが,手を腰にしている子どもがいません。だらっと両手を力なく下げています。指示を聞いていないようです。授業などでは,「今から指示をいいます」「ちゃんと聞いてください」という前置きをしてから,「手を腰に」と言っているのでしょうか。コンダクターがいる状況では,どのような指示があるかも分かりませんので,聞き耳を立てて,聞き漏らさないようにという緊張感が必要です。そのようなしつけを受けていないのでしょう。
 かつて,大学で,試験問題に対して,できない理由を「試験に出ると言ってもらっていないから」と言っている学生がいました。ということは,「ここが試験に出るから勉強しておくように」という前置きをされることに慣らされていたのです。大切なメッセージを聞き漏らさないという,授業を受ける姿勢が育てられていません。若者に対して指示待ちであるという指摘がありましたが,それは指示しすぎてきた結果なのです。
 今自分は何をしようとしているのか,という自覚をして,きちんとやり遂げようという姿勢が大事です。している振りで誤魔化しておこうと逃げていると,している意味を捨てることになります。ラジオ体操をきちんとすれば,健康だけではなく気持ちの上でもよい結果をもたらします。する甲斐のあることですが,いい加減にすれば,いい加減な結果しか得られません。
 過ぎ去っている自分の時間をもっと大切に使ってほしいと思います。今という一瞬に気を抜かずに向き合うことが幸せであるということです。
 しなさいと言われていることだから,する気がしないという愚痴がでるのかもしれません。言われたことをするのは,プライドが許さないということかもしれませんが,その程度のプライドは高が知れています。それよりも,しなさいと言われたことであっても,それを自分がすると決めれば,簡単に自分のものになります。プライドとは自分が決定できるということです。その転換を覚えないと,生きている楽しさを自ら創り出すことはできません。
 学習とは,自らの意志で取り組むべきであり,強制をしてはいけないという考え方があるようです。しかし,学習をしたいという意志はそれほど強いものではありません。教育はその端緒に強制があります。大切なことは,強制を学習への契機として自らの意志を働かせることです。「いいチャンスだから学習しておくか」という転換をするゆとりが発揮されるべきです。
 馬を水飲み場に連れて行くことはできるが,馬に水を飲ませることは難しいといわれます。しかしながら,それでも,水飲み場に連れて行かなければ,馬は水を飲めないのです。強制は必要な前提条件と考えるべきです。

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(2012年07月29日号:No.644)