《夏の朝 命を燃やす 声満ちて》

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 夏の朝,ウワンウワン・・ジイジイ・・とクマゼミの鳴き声が,数メートルから数十メートルの広がりで立体音響になって迫ってきます。近くはクマゼミの世界です。昼近くになるとお休みのようで,静かに木々の陰に留まっています。短い夏ですので,のんびりとしているのではないでしょうが,精一杯生きていることを応援しようと思っています。

我が家のクマゼミ君です

 家の壁に,地中から出てきて,殻から抜けきれないままに絶えたセミの姿があります。もう少しのがんばりで空に向かって叫ぶことができただろうにと思うと,切ない気持ちになります。命を全うすることができなかったということが不幸であるのかという問題を突きつけられます。すべての個体が予定された命の段取りを経ていくように運命づけられていても,どこまで段取りを完遂できるかについては,自然における確率的な偶然性が掛け算になります。ある個体に対しては70%といった確率が与えられて,道半ばという生涯になります。それは自然界の非情さに見えますが,生きるものはそれを想定内のこととして受け入れてきました。
 暑さの中で鳴き声を響かせている牡が伴侶に巡り会えるのかも,確率が掛けられます。植物の生涯になぞらえるなら,ちょうど花が咲いている時期になります。独り身のまま命を終えていくものもいるはずです。命のバトンを次世代につないで命の役目を完遂できたセミが最終的にどれほどの割合になるのか分かりませんが,その営みはすべてのセミたちのひたすら生き抜こうという希望の結果であるはずです。低い確率を引き受けた健気なセミがいるから,運良く生き延びたセミもいるということです。

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(2012年08月05日号:No.645)