《いつの間に 去りゆく言葉 思い出し》

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 この頃の天気予報を聞いていると,「天気が不安定で,午後になると所により急に激しい雨が降るかもしれません」といった情報が語られます。ふっと思ったのですが,「その急な雨とは子どもの頃から知っていた夕立のことではないの?」ということです。そういえば,この頃夕立という言葉を聞きません。夕立に遭ったときには,しばらくどこかで雨宿りをすればやがて止むというのが,夏の暮らしの知恵でした。急に激しい雨,科学的なのかどうか知りませんが,何と無風流な言い回しでしょう。
 夕立には,カミナリも付きものでした。入道雲が湧きあがり,にわかにかき曇り,一雨が降り,さっとあがって,虹が架かるというのが夏の風物詩です。子どもの夏休みの日記にも。夕立であれば,出来事として画としても記録できます。急な雨というのでは,ただの天気の記録に過ぎません。いつの間にか,豊かな暮らしのイメージを紡いでいた言葉を消し去っています。一体誰の陰謀なのでしょうか?
 古めかしい言い方ですが,現代社会は分業化されていて,さまざまな専門家が世の中を扱い回しています。専門家のデメリットは,分を弁えないということです。専門家自身の無頓着さと,専門家を利用するものの浅はかさに依ります。
 天気の専門家は,科学的に定義された言葉を使わなければならないと思い込んでいるので,予報を正確に伝えようとして,事象を平易な言葉や数値を使って説明します。「降水確率40%で,急に激しく降る雨」という言い方です。夏の天気の特徴として語り伝えられてきた「夕立」という言葉は,使われません。定義されていないためか,夕立という言葉を知らない人がいるという思いやりかどうか知りませんが,自分たちの無難な言い方を押し出してきます。その姿勢が言葉を葬り去っているということに思いが及んでいません。
 天候に関して非専門家である一般人は,天候に関しては降水確率と温度だけに関心を向けています。簡単には,傘がいるか,日傘がいるかという関心です。自然の風雨の中に身を置いて,季候を肌で感じるということをしなくなりました。結果として,五感で天候を捉えることがなくなって,季節感豊かな言葉はお呼びでないとお蔵入りです。言葉は暮らしぶりに合わせて使うものであるという宿命です。
 文書の書き出しに使う「○○の候」ですが,その都度調べているという状況であり,情けなくもあります。例えば,一月では,厳寒の候,厳冬の候,大寒の候などです。受け取った文書では,何気なく読み飛ばしてしまう言葉ですが,いざ文書を出すときは,最初に考えさせられる関門です。疎遠になった言葉たちがたくさんいることに驚かされます。

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(2012年08月26日号:No.648)