家庭の窓
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スケジュールが手帳や壁のカレンダーに書き込まれています。今日は○○がある,という一日の行動が刻まれています。時間毎に拘束されているのですが,それ以外の時間も全くの空白とはなりません。スケジュールに現れている業務には,前準備と後始末が付随してきます。それが片手間では済まないのが普通です。
食事をした後の片付けをしていますが,食事の時間は短いのですが,調理と後片付けの時間はサッサとは終わりません。食べる人は食事の時間で済みますが,仕切る人は拘束時間はかなり覚悟をしなければなりません。
同じように,会議の時間は2時間であっても,主催する者は2時間ではとうてい済みません。スケジュールには現れない陰の仕事があります。一方で,会議に出席する者は2時間の拘束で済みます。そこで留意しておくことは,主催側は事前の準備の中で細かい部分まで考え込んでいるのですが,出席者は議案の大まかな把握によって協議に参加してくることです。主催者の説明等が深い内容になりがちで,出席者は予備情報の不足のためについていけないことがあります。結果として,お任せムードになります。主催する側が意図的に「知らしむべからず依らしむべし」とすることも可能です。
オリンピックが終わりました。4年毎の大会ですが,その本番に現れた選手は,4年間の練習という準備をしてきました。スケジュールという視点で見ると,表に現れる公的な時間の前に,陰に隠れている私的な膨大な時間がつながっていることになります。日頃の時間の過ごし方によって,その人の表の姿が形成されていくと考えることができます。ローマは一日にしてならず,ということです。いざというときに力を発揮する,それは日頃の地道な修練があってこそ可能です。
話を大きくすれば,技術立国が我が国の持ち味であったのですが,その能力があっという間に凋落しているようです。地道な下作業の積み重ねによって完成する精巧なモノ作りという仕事観が廃れて,パッパと出来上がるインスタントが好まれ,さらには出来上がったモノを使い回すことに関心を持つ消費者マインドが蔓延しています。手づくりが好まれるときでも,それは人がする手づくりであり,自分の手づくりとはなりません。創造という能力を失ったら,支配される者に落ちぶれていきます。
自分で考えて自分でコツコツと事を成し遂げていく,それが自立の姿という確信を改めて持ち直す必要があります。そのことに気づいてくれることを期待しています。
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