《話す聞く バランス保ち 分かり合う》

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 心静かに暮らしたいと願うなら,昔のように隠遁しなければならないようです。つまり,世間の声から耳目を遮断する必要があります。この頃感じているのは,世間の声というのは,とても押しつけがましいということです。CFはこれでも買わないかという具合に迫ってきます。余計なものと思わせないように,あなたに必須のものですというように,巧みに押しつけてきます。振り切るのに少なからずエネルギーを消費します。
 好評で売り切れ間近ですとか,今が特別割引期間ですとか,交換の目安の時を過ぎていますとか,意に従わせようと煽ってきます。追い詰められて苦しくなると,そのストレスを消すために,言いなりになるしかありません。ストレスをブロックしてNOを言うためには,相手の思惑を断絶する気持ちのざらつきがあります。
 売り手としては売り込まないとやっていけないという事情があるのでしょうが,買い手の方は必要なときに買いに行くので,指図されたくないという気持ちがあります。
 一方で,世情は構われたいという傾向にあります。あれをしてくれ,これをしてくれてもいいだろう,自分で考えるのではなく,待っているようなところがあります。お客様は神様と持ち上げられて,裸の王様になっているのかもしれません。誰も分かってくれないというばかりで,分かってやろうという思いは薄くなっていると感じられます。
 また,それなりの役職を持つ人に対するあら探しに偏した叩き節は日常的にあらゆるメディアによって身近に届けられます。反論ができにくい人に対する容赦のなさ,普通に話せばいい程度のことをことさら声高に責め立てることに終始する偏狭さは,見聞きしていて浅ましく背けたくなります。
 常に話の裏を勘ぐることに執着し,人の思惑を一方的に推量し,正論らしさを醸し出そうとしますが,そっくりそのままお返ししたくもなります。批判している側の陰の欲望を暴くという声も闇に溢れています。さもしい社会は願い下げです。
 結果として,コミュニケーションが滞っている面がそこここに現れています。一方的に話すことばかりで,聞く耳が閉ざされています。言いたいことを言うが,理解し合うということは想定外です。これではコミュニケーションは成り立つはずもありません。
 分かり合うことが望まれていない世情は,住みづらくても仕方がありません。気を張り詰めていなければ暮らせない所から逃げ出すことが精神衛生上よいのですが,そうはいかないのが現実です。人はもっとゆったりとしてお互いに優しくなれないものでしょうか? なれるはずです。

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(2012年09月09日号:No.650)