《好き嫌い 載せた器を 食べ尽くす》

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 連れ合いが夕食の後片づけをしているとき,干してある洗濯物を片づけます。後でいつも叱られます。子どもの靴下が裏返しになっているというのです。脱いで洗濯機に入れるときに裏返しにしているようで,洗ったままで組にすると裏返ったままになります。見れば分かるのにと言われますが,裏返しになっているとは思いもしないので,確認せずに失敗したようです。
 人は自分のやり方が普通だと思いこむようです。その思いこみが共同生活の中で外れるとき,人の癖が見えてきます。どちらがいいかということは別にして,それぞれの癖を知らないとつきあいが円滑に運ばなくなることもあります。人柄も生き方の癖と言えるでしょう。相性のいい癖同士ならもつれることもありませんが,お互いが裏返った関係であればどちらかが無理をすることになります。
 昔から「類は友を呼ぶ」と言われてきました。似たもの夫婦とも言います。生き方の癖が似ていると,無理をしないので落ち着くからでしょう。同士や同志は同類です。人はどこか同じであればグループを作ることができます。しかし,このことは十分に気をつけていないと一つの錯覚を生み出します。同じグループにいることがあらゆる点で同じであるはずという思いこみを誘うからです。
 人は千差万別です。その千に一つが同じであることが同志になるために必要な条件です。しかし,それ以外は違っていて,ある面では正反対であることも起こりえます。それをお互いに受け入れ可能であることが本当の同志になるための十分条件です。人間関係での悩みは大部分が,この違いを受け入れ可能かどうかという点に帰結します。
 人が結びついたとき,「あばたもえくぼ」という言葉があります。自分とはそりが合わない相手の癖も包み込むように受け入れられるとき,惚れたという気持ちになります。他人であったら嫌であろうことでも,夫婦の間ではどうということはないものです。人を好きになるということは,懐が深くなることのようです。
 周りの人をすべて好きになれば人間関係は苦にはならないでしょうが,それができる人はマリア・テレサのような偉人だけです。そりの合わない人は誰にでもいるはずです。凡人にできることは,少なくとも嫌いになることだけはないように,当たり障りのないお付き合いで止めておくことです。
 周りにいる人とは誰とでも仲良くつきあわなければいけないという思いこみを捨てれば,気持ちが楽になれます。嫌な人と思うのではなくて,嫌な癖を持っているだけと考えれば,その人を嫌いになることもなく普通にお付き合いできるようになれるかもしれません。

(2001年07月01日号:No.65)