《気配りを 見ても感じぬ 朴念仁》

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 連れ合いは毎日の夕食のオカズを何にしようか考えてくれています。考えあぐねて「何が食べたい」と尋ねてくることもあります。急に聞かれても返事に窮しますが,好きなモノを思い出すままに提案します。何番目かに話がまとまります。
 どこのご夫婦も同じでしょう。でも,毎日の食事を気にかけてくれている連れ合いに,どれほどのことを気にかけてやっていることでしょう。せめて誕生日や記念日くらいはしっかりと覚えておいて,一緒にお祝いをしてあげるくらいは礼儀でしょう。若ければ花束やプレゼントもいいかもしれませんが,いまさらと照れが出るようなら,カードに一言書いて,連れ合いの目に付くところにそっと置いておくだけでも・・・。
 人は自分のことを分かってくれている人がいれば,心和やかに生きていくことができます。夫婦や親子の絆とはお互いが気遣うときにのみ結ばれます。決して一方通行はあり得ません。その簡単なことを疎かにするとき,不完全な絆は痛んでいきます。
 疎かにするとは,ことさら言わなくても分かっているだろうという甘えた考えのことです。具体的に感じられることが大事なのです。暮らしの中で,自分の思っていることに無理なくスッと寄り添ってくれたという小さな感動体験を与える努力が求められます。絆は日々結い続けるものです。
 喉を潤したいなと思ったときに,スッとお茶が差し出されます。「ウン」とか,「アア」ではなくて,「ありがとう」の言葉に添えて美味しく飲んでみせることぐらいしかできませんが,せめて気配りをしっかりと受け取ることは大切にしようと思っています。
 テレビ時代に慣れてしまったことで,人は視聴覚だけに頼るようになってしまいました。失われた感覚は第六感,つまり感じることです。わずかな手がかりから確かな情報を構築する能力が退化しつつあります。人間関係でも「はっきり言わなければ分からない」という物言いが当たり前なことになっています。ちょっとした仕草の陰にある温かさを感じ取れない自らの怠慢に気付かず,自分に向けてビジュアル的でない相手を責めたりします。
 人間関係が破綻するとき,自分の鈍感さも一因であると反省した方がよいかもしれません。テレビでは番組の裏を面白おかしく暴いて見せてくれます。何でもあからさまに見せつけられているうちに,見せられないと安心できないと錯覚させられていきます。そのことに気付かないと,品性に錆が積もるでしょう。連れ合いの何気ない振る舞いに隠されている優しい気配りを見落とさないようにしようと思っています。

(2001年07月08日号:No.66)