《推論の 上りと下り 選び分け》

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 筋道の通った話をしようとすれば,○○だから□□である,という必然的な展開をつなぎ合わせていくことになります。展開には2つの道があります。一般化する道と具体化する道です。一般化とは,例えば,「虐待をする親が現れている。だから最近の親はダメである」という話の展開です。具体的な事例を挙げて全体に言い及ぶという展開で,帰納法と呼ばれます。コメンテーターから「だから日本人は○○である」といった言い方をよく聞きますが,普通に使われている展開です。一方で,具体化とは,例えば,「人は社会的動物である。だから,私たちは絆を大事にすべきである」という説得がなされます。全体の特質を個々の事例に敷衍するという展開で,演繹法と呼ばれます。
 私たちは普通には,体験を元にして物事の筋道を立てようとするので,帰納法が採用されます。自分の経験ほど確かなものはありません。その確かさがあるために,経験につながる推論も間違いないという思い込みが生じます。しかし,推論は経験の確かさを受け継ぐわけではありません。例えば,裁判では,具体的な証拠に基づいて,有罪と無罪の推察が矛盾なく可能になり得ます。推論を進める際に紛れ込む曖昧さを想定しておかなければなりません。
 一方で,理論派という人たちは,大義名分を掲げて,そこから個別の具体的な物事を導き出そうとします。演繹法をとります。根拠とする大義名分に絶対的信頼を寄せているので,揺らぐことがありません。しかし,世間の物事を統べるような名分はあり得ません。適応できる範囲は限られているはずです。そこで,理論的な推論が案外と的外れになることがあります。このように感じることは,多くの人にとってそれほど珍しいことではないはずです。
 どちらも一長一短があるので,適応する場に応じて、使い分けていくことが必要になります。同じ場で,二つの推論が絡み合うことになると,話はややこしいことになるかもしれません。しかしながら,それぞれ論拠の性格が反対だとはいえ,内容については同じである可能性もあるので,そのときは事は円滑に運ぶでしょう。
 協議をするとき,討論をするとき,意見を交わすとき,自他の推論が帰納法か演繹法かを読み解いておくといいでしょう。

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(2012年10月28日号:No.657)