家庭の窓
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風鈴の涼やかな音色が好きで,南部鉄の風鈴を軒先に掛けたいのですが,はばかられています。以前テレビで,夜中に鳴るとご近所の安眠を妨げるという話を聞いたからです。そうなのかなと首を傾げながらも,気になる方がいるかもしれないというおそれは無視できません。それまでは一年中楽しんでいたのですが,連れ合いに差し止められました。
庶民の暮らしは,人の迷惑になるかもしれない行為は控えるというラインで決断されています。田舎のように人が少ないところでは,この行動抑制ラインはかなりの余裕があります。しかし,大都会で人が密集しているところでは,このラインはかなり窮屈になるはずです。近隣トラブルが多いのも理解できそうですが,それだけでもないようです。
都会の近所づきあいが薄いということも大きな要因になっているはずです。人の迷惑というときに気をつけることは,人として誰を想定しているかということです。見ず知らずの人は,人と思っていない場合があります。隣の人と見ず知らずの間柄であれば,迷惑を掛けないようにという行動抑制ラインは引かれません。相手は人ではないのですから。これが近隣トラブルの主な原因です。
公徳心の低落は人付き合いの縮小化と同期しています。例えば,旅の恥は掻き捨てという言葉は,旅先の見ず知らずの人の中では恥ずべき行為が平気になるということで,抑制ラインが消滅するのです。都会に転入する人は自分が旅人であると思っているふしがあります。少なくともこの地で骨を埋めるという定住意識があれば事情は変わってくるのでしょうが,それだけに頼るのも消極的です。
人付き合いは鏡のような関係にあります。自分が周りの人を無視すれば,周りの人から無視されていきます。関わるのは苦情を言ったり言われたりという負のつきあいだけです。そこで過剰に身構えてしまい,一層人付き合いが苦になるという悪循環になります。寂しさは外から襲ってくるように見えて,実は自ら招くものかも知れません。
それでは正のつきあい,周りの人と仲良くするためにはどうしたらいいのでしょうか? まず最初に何が欲しいですか? 相手が笑顔を向けてくれたら,ホッとしますね。自分が欲しいものは,まず人に差し上げることです。自分が笑顔を見せれば,鏡はそのまま笑顔を返してくれます。渋面を向けたら,相手から渋面が跳ね返ってきます。笑顔がうれしいのは,受け入れるサインだからです。心を開いているという証拠なのです。微笑みを大切に。
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