《処世訓 額から下ろし 握りしめ (1)》

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 明の崔後渠(さいこうきょ)による「六然訓(りくぜんくん)」という寸言があります。検索すると,多くの方が生きる上の鑑としているようです。

     自處超然   じしょ ちょうぜん
     處人藹然   しょじん あいぜん
     有事斬然   ゆうじ ざんぜん
     無事澄然   ぶじ ちょうぜん
     得意澹然   とくい たんぜん
     失意泰然   しつい たいぜん

  自處超然  自ら処すること超然
   自分自身に関しては,ものに囚われないようにする。

  處人藹然  人に処すること藹然 (藹=草木が繁茂すること)
   人に接して相手を楽しませ心地よくさせる。

  有事斬然  有事には斬然
   事があるときはすっぱりと活発にやる。

  無事澄然  無事には澄然
   事なきときは水のように澄んだ気でいる。

  得意澹然  得意には澹然
   得意なときは淡々とあっさりしている。

  失意泰然  失意には泰然
   失意のときは泰然自若としている。

 六つの言葉には然という字が共通しているので,六然訓といわれています。ところで,然とは?
 自然,当然,必然の語のように,あるがままという意味があります。また,毅然,断然、突然,平然のように前の語の状態にあるということを表します。そのような状態にありたいものだという寸言です。
 ところで,目指す状態にあるためには,それなりの状況を創り出さなければなりません。無為のまま待っていては,状態は訪れてはくれません。どのように行いをすれば,望ましい状態が現れてくるのか,知らなければなりません。

 超然であるためには,超えている状態ですから,物事から離脱し浮上する必要があります。自分を物事から切り離さなければなりません。肩書きの無い自分を持つこと,飾りを外した自分をさらすことができるとか,少欲知足といっ心がけを守り通すといったことなどが思いつかれるでしょう。こだわりを捨てるという悟りもあるでしょう。人として自立していることと考えることもできます。
 →(次号に続く)

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(2012年12月23日号:No.665)