家庭の窓
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よき新年を迎えられたことをお慶びいたします。
本年もよろしくお願いいたします。
久しぶりに録音された講演記録を原稿に起こす作業をしました。久しぶりというのは,学生時代に同じ下宿の隣室にいた先輩の社会人に頼まれて,バイトとして講演録音テープを原稿に書き出したとき以来ということです。会社経営の講演録なので,聞き慣れない熟語が出てきて,苦労したものです。リールに巻かれた録音テープをソニーのデッキに掛けて,左手でつまみ状の回転つまみでオンオフをこまめに繰り返しながら右手で書き留めていきます。聞き直す所作の繰り返しですから,ちょっと巻き戻し,ちょっと聞いての動作の連続で,数日かかりっきりの作業になりました。
今回は,パソコンの中で,録音ファイルの再生と文書ファイルへの打ち込みを,マウスのクリックとキーボード入力の繰り返しで行うという作業形態に変わり,作業は楽になりました。元が音声ですので,音声入力ができる文書ソフトがあれば,簡単なのでしょうが,そこまでシステムが完備していませんので,手作業は仕方ありません。諸雑用の合間を縫っての飛び飛びの作業でしたので,日数としてはかなり掛かりました。
実行委員長を勤めた研修会の報告書を出すに当たり,講演録を文書化する必要がありました。ところが,その役を誰も引き受けてくれず,委員長として引き受けることになり,久しぶりの作業をすることになったというわけです。
話し言葉を書き留めていくという作業をしていると,あることに直面させられます。話し言葉は文章の区切りがなくて,ダラダラと続いていきます。書き出していくと句点がないので,まとまりがつかない文章になります。適当に切ってけりを付けるという修正をしたくなります。報告として整えるという工程として許されることでしょう。話の流れを生み出す接続詞や間投詞の類は,よほどしつこく現れるのでなければ,温存しておきます。講演録であるという香りは止めておく必要があろうと判断しています。
書き留める手作業をするために,細切れの文章を一時記憶するのですが,細切れのために文章の全体が把握しきれないので,聴き手の覚えやすい形に変形されるということが起こりました。自分のしゃべりに無意識に入れ替えて記憶していく傾向があることに気付かされました。書き留めた後で,少し巻き戻して続きを聞くという作業の中で,書き留めた部分が,意味は同じですが,録音とは言葉遣いの微妙なずれを起こしていることにしばしば遭遇しました。言葉は聴き手が持ち合わせている言葉や文体にすり替わっていくということを実体験しました。
機械的に音を文字にする作業をすればいいのですが,言葉を聞くときには,意味の流れをつかもうとするフィルターが掛かってしまいます。逆に言えば,意味のない音のつながりは雑音として意識外に排除され記憶回路にインプットされない仕組みになっているのでしょう。無意味な音は左脳ではなく右脳の方に振り分けられて,感性の回路にインプットされていくということです。
報告書を完成する時期が迫っている状況の中,仕上げを急がねばなりません。大仕事を終えたという安堵感で,残り1%で滞っています。ウサギの心境で眠りこけています。目を覚ますことにしましょう。
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