《楽しみは ちょっと本読む 寸読を》

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 持ち時間の流れの中で,予定外の隙間の時間が生まれます。多くは待ち時間です。人は関わりの中で生きていますが,関わりは意のままにならないものです。いわゆる相手の都合という事情とのすり合わせが必要になります。社会という関わりはお互いの都合の調整になにがしかの時間とエネルギーをコストとして消耗します。自分と役割との間にも調整があります。
 仕事にはある塊があります。一仕事というように,まとまった仕事というイメージがあります。仕事の区切りとして意識されます。時間切れで仕事が区切りで切れないとなると,中途半端になるので,時間と仕事の調整がなされます。
 一仕事を終えた後,次の予定されたやるべきことに着手するまでに隙間の時間が生じます。その時間で済ませられる一仕事があればよいのですが,特にないとなると,ぼんやりと無為に時間を過ごすことになります。それは仕事の合間のリフレッシュという意味を持たせることもできますが。
 要は,何かをするにしても中途半端になってしまう時間を,持つことがあるということです。そんなときにそばに置いている本を読みます。一気に読むような本ではなくて,拾い読みができる本をそこここに配置しています。本をそばに積読して,ちょっとの時間で読む寸読をして,楽しむ楽読をしています。
 「そうなんだ」「そんなことがあるんだ」「面白いことを考える人がいるな」「すごいことをする人がいるんだ」。自分のわずかな経験の中に同じようなものを見つけたり,全く思いもしないようなことを教えられたり,理解できない世界がありそうだと感じさせられたりすることで,未熟で未開拓な自分を思い知らされる楽しみを拾っています。本の内容を記憶して知識にするということではなくて,まだまだ知らないことがたくさんあるというワクワク感をとりあえずは楽しんでいます。
 林業の世界に関して全くの門外漢ですが,外材の輸入が日本の林業をダメにしたという程度の聞きかじりはしたことがあり,そうだろうなと納得をしていた自分がいました。ところが,外材の輸入によって日本の森林が護られたという話を読んで,アレッという刺激を受けました。どういうこと?
 外材の輸入がなかったら,当時の木材に対する旺盛な需要のために,日本の山はとっくにはげ山になっていただろうというのです。木材というのは在庫が負担になるのではなく,在庫する期間が長くなればなるほど価値が上がる特殊なもののようです。塞翁が馬の故事に例えられる成り行きを見せて貰って,自分の中にあった古い知識が書き換えられたという清々しさを感じました。
 読書といったささやかな営みを通して,外の世界に関わっていると,自分の中で何かが起こります。その反応ができる自分を自覚する楽しみは失いたくないものです。

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(2013年01月13日号:No.668)