《人の世は 意見の違い 渦巻いて》

  Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 「競馬を成り立たせているのは,意見の相違だ」と,マーク・トウエンが語っています。競馬はまったく未知の世界ですが,馬場とか,戦歴とか,血統や騎手などで勝敗が予想されているようです。同じ情報なのに,人の出す予想が違ってくるのは面白いことです。競馬の場合には結果が出るので,意見の優劣がはっきりします。
 ところで予想の当たりはずれが起こるのはどうしてでしょうか? 一つは情報への重みの付け方が異なるからです。どの要素を重く大事に見るかということです。もう一つは誰も知らない情報がほかにあるために,判断に不確実性が忍び込んでいるからです。
 事実は普遍であっても,意見は千差万別です。人の結びつきも不思議なものです。あばたもえくぼという故事もあります。一方で似合いのカップルであるように見えても,実のところ絆が痛んでいることもあります。人は事実によってではなくて,自分なりの意見に従って暮らしているせいです。
 当たりはずれのない人生を送りたいと思っても,それは不可能です。人が手にできる情報が限られているからです。確かに情報化社会ではいろんな情報を入手できて,それなりの適切な対応をすることができるようになりました。自然災害もいきなりではなくて不十分ながら事前に察知できますし,楽しみのためのイベント情報も豊富に知ることができます。しかしながら,それでも個別の交通事故の正確な予想はできません。個別の事象には数え切れないほどの要因が絡んでいるからです。
 総論賛成各論反対という現象も不可避です。総論は個別の事情を平均化してしまうからです。平均化するのは,すべての事情を勘案できないという無力さから生ずる苦肉の策なのです。各論では平均化という形に閉じこめられたものを解き放たなければならないので,総論という意見は根拠が失われます。
 大きな視野でものごとを見据えるという利点は,なるべくたくさんの情報を基にして意見をまとめるほうが不確実性を軽減できるからです。それでも幾分よりよい意見という程度のものです。
 連れ合いとの意見の相違があるときに,お互いが今何を大事にしようとしているかを摺り合わせます。大事にすべきことは一つではありませんし,また時と場合によって優先順位が変わってきます。今大事なこと,その判断が一致すれば,意見は揃えられます。その柔軟さがなくなると,自分の意見に頑なに拘るようになり,意見の対立だけが起こります。

(2001年07月22日号:No.68)