《感覚は 身を置く場所に 寄り添って》

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 久しぶりに交通機関を利用しての道行をしました。自分で運転するという作業から解放されているために,暇な時間を押しつけられて,あれこれ気になることに出会いました。地下鉄のある駅に止まったとき、ちょうど窓の外に駅名のパネルがあり,駅を表すシンボルマークに目が留まりました。とはいえ,感心するほどのものではありません。
 頭文字の「N」の線端が鉛筆の芯先とペン先になっています。周辺に有名高校と私立の大学があることに因んでいると思われます。どうということもないのですが,ふと思いました。今時の学生・生徒は鉛筆ではなくシャープペンシルでしょうし,ペンなどは使わずボールペンでしょう。鉛筆とペン,古いイメージではないのかと感じました。シャープペンシルとボールペンでは,図案化してもしっくりこないのではないかと,素人にも感じられます。絵的には,やはり鉛筆とペンかな,でも・・・。
 乗り換えが必要なので,バス停に行きましたが,生憎と利用する路線のバス便は少なく,着いた時間がちょうど狭間に当たり,30分ほどの待ち時間でした。付近は繁華街なのでぶらついてみる時間になるかなとも思ったのですが,普段からぶらつくという習慣がないので,30分の時間利用のイメージがつかめずに,すぐにバス停に戻ってしまいました。しようがないなと思いながら,ジタバタせずに,大人しくバス停からの街の風景を眺めることにしました。
 随分待ったので,もうそろそろかなと腕時計を確認すると,まだ10分ほど過ぎた程度です。時間を長めに感じている自分に何となく違和感がありました。自分の中の時間の流れと時計の上の時間の流れがずれているという感じです。バス停で待っている自分は,道行の途中の身です。日頃の道行は自家用車の中にいて,そこでの待ち時間は信号待ちです。ほんの数分の待ちですが,じれて待たされています。数分待ちを長く感じていることに馴染んでいるせいで,バス停での10分の待ちを数倍の待ち時間に感じているのでしょう。忙しない時間感覚を持っていたことに気付かされました。
 バス停で待っている方たちと同じ時間の流れに乗ってみることにして,時間感覚をリセットしてみました。実際は立っているのですが,気持ちでは腰を据えて待ってやるという思いです。中心街なのでバスの路線が集中していて,ひっきりなしにバスがやってきます。どの方面にいくバスかを確かめる一方で,待っている方の中でどの方が乗っていくのか,バス停の人の流れを見ているしかありません。前に並んでいる方が乗るのかなと思っていると,横からどやどやと人が流れ込んできます。バス停での人の溜まりと流れはかなり複雑です。早送りをして眺めると面白いかなと想像したり,暇つぶしを考えているうちに,待ち焦がれている路線ナンバーのバスが見えました。

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(2013年02月17日号:No.673)