《いささかの 不一致あれど 人信じ》

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 食事の作法として,和食の場合,食べる順序があるようです。口中調味という嗜みが生かされるように,ご飯とおかず,汁物を順序よくいただきます。三角食べと言う方もいますが,給食指導の影響のようです。反対に,ばっかり食べという食べ方もあります。子どもがおかずばっかり食べてしまうというようなことです。洋食で順番に出されるものは,ばっかり食べするしかありません。配膳の仕方によって味わい方が違ってきます。
 話をする,聞く場合にも,同じようなことが起こります。伝えたつもりでも伝わらないことがある,それが話の注意点ですが,多数を相手にしていると,必ず行き違いが起こるものです。話の味わい方が多様であるということです。和食のように,情報を過不足無く提供していても,ばっかり聞きをされると,理解が不完全になります。一方で,洋食のように,順番に話を進めるつもりでいるときに,和食風の聞き方をされると,出されていないという不満が生じます。伝わらないのは,聞き方との不一致からも生じます。
 話自体の味わいがすべての人の耳にあっていることはあり得ません。甘味が足りないとか,まったり感がありすぎるとか,それぞれが自分勝手な感想を押しつけていきます。話の展開が速すぎるとか,話し方が押しつけ的だといった,自分の感性との不一致をあからさまに返すこともあります。話す方は大変だと思います。それぞれに対処していると,手間暇が掛かりすぎて,動かなくなることもあるでしょう。ある程度の所で,双方が思い切る必要が出てきます。
 人が生きていくということは,何かを受け入れることです。酸素を受け入れる呼吸,栄養分を受け入れる食事,知恵を学び取る学習,その他の恵みを受け入れるから,生きていくことができます。その恵みは限られているので,均等な配分をするような仕組みが考え出されました。それが社会です。お互いに支え合うという了解の元で,生産者と消費者という立場や,分業化という役割分担が織り込まれています。社会的な活動,暮らしのあれこれは,みんなのためにという目的に向かっていると考えると,そこここで発生する不一致や理解不足は悪い結果になることはありません。自分には見えていないことがあっても,世間のお陰で生かされているという実感を信じることにします。

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(2013年02月24日号:No.674)