《雑用を 雑な意識で 意味無しと》

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 人生を半分に折り曲げたとき,出会うであろう子どもの頃,罫線を引いていない白紙のノートを,表書きを雑記帳として,落書きを楽しんでいました。雑記という意味をどのように理解していたのか思い出せませんが,どの教科にも当てはまらないことを,ゴミ箱のように押し込めるものと考えていたように思います。それであるなら,落書きをしてもよいと勝手に言い訳をしていました。
 雑という字の意味を読むと,「一定の基準で分類したとき、どの項目にも入らないこと」「入り乱れて整理されていない様子」「細かなところまで行き届いていない様子」とあります。雑役は,社員・工員の仕事以外の肉体労働のあれこれです。雑感は、いろいろのまとまらない感想です。雑音となると、不愉快な感じを与えるいろいろな音となり,悪い意味になります。雑草は、利用・観賞価値のないものとして注目されることがない草です。雑誌はちょっと別格になるのでしょうか,あるテーマに関して何人かの人の原稿を集めて定期的に発行するものであり,それなりの価値が認められているようです。
 人が物事を考えるときに,全体を丸ごと理解し考察することができないので,分けることにします。分けるためには基準を想定します。価値を選んで基準として、物事を振り分けます。例えば,リンゴは木に生るから果物,トマトはそうではないから野菜,と分けるようなことです。いろいろな基準で分けていっても,数に限りのある基準のどれにも掛からないものが出てきます。それを雑という分類箱に放り込んでいきます。雑と言いにくいときは「その他」という看板に掛け替えます。
 基準の数が有限になるのは,実務上仕方がないことです。そこで,基準を立てないものは価値として勘案しないということになります。分けられたものを表す言葉が決められます。先ほどの木になるものを果物という言葉で分類することになります。分けられなかったものは名付けられませんので,無名という代わりに雑となります。名もないということで,意味もありません。雑草が草として意味を与えられないようなものです。
 世の中にはすべてが意味あるものとはなってはいません。何の意味があるのだろうと思われることもあります。例えば,家の掃除をすることに,どれほどの価値を感じているでしょうか。それは雑用でしかないということでしょう。しかし,本当に掃除をすることに意味がないのでしょうか? そうではないはずです。ところで,掃除をする価値を自分のものとしないことがあります。自分は掃除をする責任を負っていない,掃除のような無意味なことをする人物ではないという価値の不一致を持ち出します。
 若者が,自分に相応しい仕事を求めているのも,同じことです。何の経験も積んでいない若者に任せられる仕事は,いわゆる誰にでもできる雑用しかありません。そういう点で,雑用は特段の技能を必要としないでそれなりになんとかできるものということができます。自分に合う仕事ではなく,必要な仕事に自分を合わせることが大切です。それがいわゆる資格ということです。特別に資格がないことについては,履歴という経験がものをいいます。意味とは与えられるものではなく,自分の手で獲得するものと弁えるべきです。

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(2013年03月10日号:No.676)