《聞いたこと どんなに聞くか それぞれに》

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 バラエティ化しているテレビ番組がつまらないと,連れ合いは韓国ドラマのはしごをしています。それにしても,一日中見続けることができるほど蔓延っているのは驚きです。見る人がいるからか,見せようとする人がいるからか,どちらなのか分かりませんが,日本のテレビはどうなっているのでしょう。スポンサーの意向や企業の広報費の減少による影響があるのかもしれません。門外漢なので考えることはしません。
 ところで,背後で番組が流れているので,時折,ドラマの展開が耳に入ってきます。ちゃんと言えばいいのに,ちゃんと聞けばいいのに,確かめればいいのに,というすれ違いが,筋立てを込み入らせて人を右往左往させています。それがドラマを仕立てることなのでしょうが,すれ違いの連続がこれでもかというほど重なっています。見ている方は興ざめしないかと思うのですが,のめり込んでいるのでしょう。
 人間ドラマは情報の伝達の曖昧さ・不完全さで千変万化します。機械であれば,情報が不足すれば機能を停止するので,事態は間違った方に進むことは避けられます。ところが,人の思いや行動は,情報の曖昧さや伝達の欠落などを勝手に補ってしまって,先に見込みで進んでいきます。そこには自分の欲も絡んで来ることから誤解も含まれるので,間違った道にはまり込んでいきます。そういう人の弱点を見せつけられながら,傍から眺めてハラハラすることがドラマティックと楽しんでいるようです。
 人が情報を伝える目的は,それぞれが相手を思い通りに動かしたいということです。一方で,情報を受け取る目的は,それぞれが相手の思いに対して自分の都合と照らし合わせて反応したいということです。人との関わりによってそれぞれに自分を生かしたいという思いがあればこそ,コミュニケーションが必要になります。人が情報を駆使する技術を発展させてきたのは,人とのつながりをより正確に精緻に確実にすることを願っているからです。
 情報社会と言われている中で,情報の伝達はまだまだ不完全であるということを前提として、判断をすることが大事です。自分の都合のいいように解釈できるという曖昧さがかなり残っているということを忘れないことです。ドラマからのメッセージは,人の振り見て我が振り直せという手段を通して,情報伝達の不完全さへの警告なのです。
 一つの情報がすべての人に同じようには伝わりません。情報がそれぞれの人のフィルター感度に応じて受信されるからです。受信された情報は受け手の側の処理を受けてしまうのです。入力された色がフィルターを通すことで変色するのです。気をつけることは,受信する人がその変質に気付いていないということです。このことは立場を逆転すると,情報を伝える側も,発信した通りには伝わらないということになります。その変質の程度は,個々の人によって異なるので,事態はなおさら複雑になります。情報は人に依るのです。一を聞いて十を知るという言葉がありますが,一を聞いて三を知る人,八を知る人のほかに,マイナス二,マイナス十を知る人もいるということです。心すべきことです。

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(2013年03月17日号:No.677)