家庭の窓
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特にどうということはないのですが,気力が満ちてこない日というのがあり,不完全燃焼をしている物足りなさを感じます。切羽詰まった事柄がないので,緊張が途切れたということかもしれません。時間を持て余すので,何かすることを見つけてやってみるのですが,すっきりしません。充実感がなくて,暇つぶしとしか思えません。
急かされた事柄に追われて、文書類が山積みになっています。片付けはじめると,分類が結構厄介な作業になりました。ファイルに綴じ込めばいいものが大部分ですが,何かの役に立つかもしれないというだけの当てのない文書もあり,宛先不明ということで,脇にどけられたまま居残っています。片付かないので,その辺に置かれることになります。
セレンディピティという言葉があります。何かを探しているときに,探しているものとは全く無関係な別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉です。科学的発見の歴史の中で,ある意図の下に成されていた研究の途中で,偶然に全く予期しない新しい発見・発明に出会うことがありました。本筋とは違うことなので,失敗として見過ごしてしまうところ,ふいと注目してみて,想定外のものが見つかるということです。この言葉を普通に使うときは,つまらないものに見えた事柄から,偶然に幸運を掴む出来事を表します。
必要な情報を探している途中で,ふと目にした無関係なデータながら面白いと思うものを文書化して取り出しています。それらが分類からはみ出した文書になっています。行き先の予定がないので近くに置いているのですが,ほとんど忘れてしまいます。片付けるときに再会することになり,そうだったと思い出します。そんなことを繰り返すうちに,新しい使い道が拓けることがあります。そうなれば,無駄になりそうな文書が生かされることになります。
文書にするほどでもない小ネタは,メモにします。たとえば,JAFMateという冊子に,コロッケが母親に教わった「あおいくま」という言葉の話が載っていました。あ=焦るな,お=怒るな,い=威張るな,く=くさるな,ま=負けるな。自分に言い聞かせていると,コロッケが語っています。調味料の「さしすせそ」のように,この手の言葉はよくお目に掛かります。何かの話の中で使えるかもしれないと思えば,メモしておくことになります。メモは,いずれ行方不明になることもあります。
片付けるという雑事に耽る暇つぶしには,さほど充実感はありませんが,四六時中充実感をという欲張りは心身によくないということで,メリハリを楽しむことにしています。
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