《いい幹事 仲間のやる気 引き出して》

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 ボランティアとは自分でしようと思うことが基本的条件だそうです。しなくてはいけないとか,人に言われてするものではありません。それはいいのですが,ボランティア活動が組織化されていくと,どうしても活動そのものが一人歩きをはじめ,個人の思いをじわりと締め付けるようになってきます。
 活動を円滑に進めるためにという目標が個人に対して力を及ぼします。いわゆる組織の目標という大義名分が命令を下すようになり,個人の自発的発意が薄められていきます。おそらく地縁や金縁とは異なる自発的志を同じくする仲間集団という経験がまだ浅いためでしょう。ボランティア集団の経営において,最も気をつけなければならないことはなんでしょうか?
 集団を動かす理念の再確認をしておきましょう。活動に関わる何かを決めるときに,みんなの意見を集約することを優先するか,委任を受けた代表者などによる指導性を採用するか,二つの選択が可能です。形としては,世話役や幹事という役割を設けて常にみんなの意向に従う横並びのもの,一方で委員長とか会長という役職を設けて組織を優先する縦並びのものとがあります。ボランティア組織においては,まとめ役に冠せられた名称がもたらす理念の違いを十分に配慮すべきです。
 さらに踏み込めば,もしボランティア組織で長という名がついた地位に就任した者は,長に付随する指導者や命令者というイメージに自らがとらわれないように留意すべきです。なぜなら,長には必然的に組織を背負っているという責任感がつきまとうからです。自然に口調が命令調になっていき,仲間を部下と勘違いするようになります。ボランティア組織では最も避けなければならないことです。
 企業組織とは異なった理念で動いているということを心得ていないと,ボランティアそのものに対して幻滅をもたらしかねません。繰り返しますが,ボランティアは一人ひとりが自分から進んでしようとするものです。その個人性を生かすための組織化でなければなりません。世話役という名の人を中心とする組織がうまくいっている秘密は,そこにあります。世話役には,個人を主役とするからこそ,調整という作業が委託されているのです。
 連れ合いが幹事として関わっているボランティア組織は,寄り合い所帯のようなものです。組織としてという意識はそれほど強くありません。個人の意志を尊重すれば当然のことですが,一人ひとりのボランティア精神は崩れないことでしょう。ただし,個人に対しては自分の責任を果たすことが求められることになります。自分がしようということには自分の責任が付いてくるのです。

(2001年07月29日号:No.69)