《あれこれの 違いに出会い それもあり?》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 ○○流,□□風という形で,違いを取り上げることがあります。大きくは同じですが,細かくは違いがあるという場合に使われます。芸術分野での流派というのも,○○流である人が集まっている派閥ということで,流派の差別化が意図されています。門外漢には同じ△△なのにどこがどう違うのか,違いにこだわることが理解できないということになります。もちろん,当事者も分かっていることではあるのですが,同じといえば流派の存在が否定されてしまうので,違いが分かるということにこだわります。
 「みんなちがって みんないい」。金子みすゞさんの詩の一節が,目や耳に飛び込んできます。この一節を,どのように解釈するか,というよりも,自分はこう受けとめるという論評があれこれとあるようです。ちがっていて何が悪い,ちがうのは当たり前,ちがっている方がいいんだ,ちがっているからこそ皆がいいんだ,などとそれぞれの違いにこだわってしまうのが,ワタシ流の解釈となります。
 「みんないい」のみんなを一人一人の集まりと考えて,その一人である自分にとっていいと受けとめるか,みんなという集団にとっていいと思うか,読者のフィルターによって言葉の風合いがちがってきます。どのように読んでもらうか,みんなちがっていいとみすゞさんは思っているかもしれません。
 協議をする際に,発言はそれぞれに,○○さんらしいというものになります。あるいは,○○さんだったらきっと□□と言うだろう,と思うことがあります。意見を交わすときは,それぞれに相手からの想定できる発言に対抗する受け答えを準備することになります。ものの考え方は,人によって違いますが,他に年代による違い,土地柄による違い,性別などによる違い,職業的な違い,育ちの違いなども現れてきます。それは素人の考え方,玄人は違う,という言い方もよく耳にします。
 理系と文系という違いも言われます。理系は物事を単純明快に理解しようとしますが,文系は物事を複雑難解に把握しようとします。理系はなるべく切り捨てて本質的なものを残そうとし,文系はあれもこれも取り込んで総合化しようとします。理系と文系とが話し合えば,どうなることかと思いますが,案外と面白いことになるのではと思い直したりもします。予想通りに,全く食い違って物別れでしょうか。違っていることがいいことにならないのでしょうか。
 食の好みについても,肉派と魚派,肉派と野菜派,清酒派と焼酎派,和食派と洋食派,いろいろな派閥があります。好みですから,それぞれでいいのですが,家庭で惣菜の決定者である奥さんの好みが,家族に押しつけられるときには,ちょっとものを言いたくなることでしょう。たまには,○○を食べたい! ところが,ことが好みという範疇からはみ出して,健康のための栄養領域に結びつくと,不健康な好みという判定が降りて,あえなく却下されるという目に会います。我慢させられて健康であるというのも,解せないことです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2013年04月14日号:No.681)