《なかなかに 縁を結ぶは 難しい》

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 玄関チャイムが鳴るので,インターフォンの受話器を取ると,穏やかな男性の声が飛び込んできます。聴いていると,近くに教会があるとかで,聖書を読んだことがありますかという問いかけがあります。若い頃,旧約聖書は目を通したことがあるだけで,新約聖書は全く目を通したこともないので,イイエという返事をします。パンフレットをお渡しできませんかという声に,郵便受けに入れておいて下さいというつれない返事をします。
 近くに車を駐めて家々を訪問している男性1人と女性3人のグループを見かけることがありますが,その一団のようです。以前に一度対面したことがありますが,パンフレットを受け取っただけで,斜め読みに終わりました。天の采配ということを何となく受け入れている程度で,神や仏という存在に敬意は表しますが,信じることはしていませんので,ほとんど無関心です。パンフレットもただの読み物という以上のものではありません。
 素っ気ない応対をしながら,一方で,人に何かを啓発しようとするとき,きちんと向き合ってくれない虚しさを共感します。若者に専門知識を教えているとき,聞こうとしない者には虚しさという反射を受け取ることになります。テレビの視聴率という数字に放映情報の受取率が表されますが,人に語りかけて聞いてもらえるかどうかという場面は,いろんな所にありそうです。セールスや講義,啓発や宣伝,勧誘や広報,人が人に働きかけることはごく普通にあることですが,その効果は千三つというのが通り相場なのでしょう。
 何か新しいことに向かうときに,成功する確率が0.3%,千に三つの割合といわれてきました。この割合は,前提となる状況に応じて,3%になったり,3割になったりします。行き当たりばったりという場合は千三つと考えておくと,虚しさに打ち勝って,何とか続けられるでしょう。
 それは気休めと思われるかもしれません。そう思って止めてしまうことは簡単です。そういう道を選べば,千ゼロということは確実です。ところで,千三つは宝くじに当たる確率よりはずっと高いはずです。

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(2013年05月12日号:No.685)