《安眠に 目覚めた朝の 心地よさ》

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 朝から昼過ぎまで喧しいほどの蝉の声が,夕暮れからぱたっと止みます。夕食後,「蝉は夜どこに寝てるんだろう。木の枝につかまって寝ているのなら,寝ぼけて転げ落ちる蝉もいるかもしれないね」と連れ合いに話しかけると,「そんなこと考えたこともない」とつれない返事です。そんなくだらないことと言われなかっただけよかったのかもしれません。連れ合いはすっかり慣れっこになっているからでしょう。
 ところで木にとまって眠る鳥はどうして眠っても落っこちてこないのでしょう? 足の膝にあたる部分を眠るときに曲げますが,そうすると足の指が握る方に曲がっていくそうです。眠りの姿勢が自然に枝をがっちりと握ることになるので,踏み外すことがないのだそうです。生き物とはうまくできあがっています。
 人が寝ている様はどうでしょう。赤ちゃんなら可愛いのですが,何とも恥ずかしい限りです。全くの無防備で,布団やベッドから転げ落ちることなども簡単です。生き物としてはできが悪いようです。もっともこのような体たらくは平和な最近の暮らしを反映していることなのかもしれません。
 人が生き物であるということに注目すると,夜行性ではない人は夜は眠るものです。夜更かしをするようになって,人は生き物としての自然な感性を押し込めてきました。身体はお休みモードに入っているのに,飲食物やテレビなどの刺激があちらこちらから飛び込んできて,寝そびれます。そのくせがつくと,リズムの変調が起こり,身体は無理な活動を強いられて,心身の傷みが早められることでしょう。
 幸せな人の条件は「夜寝るとき,明日の朝起きるのが楽しみである」ということです。朝を楽しみにできなくて,寝るだけが楽しみなら不幸せではありませんが,幸せにはなれないでしょう。朝の明るさを期待して生きるのが生き物としての人に相応しい生き方です。
 たとえ悩みがあっても,夜考えると暗い方に考えてしまって辛くなりますが,朝考えると明るい方に考えるようになり,何とかなると落ち着くものです。夜は頭が疲れてあれこれ知恵をめぐらせることができなくなるので思考は行き詰まります。ぐっすり寝た朝は頭がリフレッシュされているのでいろんな知恵が総動員できます。夜よく眠れる人が幸せな人になれるのは生き物としての宿命なのです。
 寝る間も惜しんで何かに没頭する努力がもてはやされることがあります。何事かを成し遂げた人はそうであったのかもしれません。でもそれはほんの一時期のことです。最後の仕上げ段階には必要でしょう。寝る間を惜しむ生活が常態になっては,おそらく何も成し遂げることはかなわないはずです。生きることの中には眠ることが含まれているのです。

(2001年08月05日号:No.70)