《真面目な場 少し乱して 笑み交わす》

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 問題です。五匹の猿がいて,六つの菓子があります。何ら菓子に手を触れずに,平等に菓子を分けるにはどうすればいいでしょうか? こういう問を向けられたら,往生します。どのように切り抜けることができるでしょう。「分かりません」と答えるしかありませんが,答えようがあるそうです。「むつかしござる」(難しござる=六つ菓子五猿)。
 この手のだじゃれが好きなので,こうして書き留めています。大人げないのですが,無理難題をかわしている苦し紛れさが愛おしいのです。そう言うしかない,という全く無意味な開き直りです。だじゃれをユーモアだと思えば,少しは嗜んだ方がいいということになるでしょう。
 関わり求めてくる物事を真正面から受けとめることが基本ですが,その一手だけでは無理が生じます。三十六計逃げるにしかず,といわれます。無理な受け止めをするより,逃げた方がよいようです。その逃げの有り様にユーモアが関わってきます。
 人の器量を測るために,ちょっとした難題を振りかけることがあります。問う方も答を持ち合わせない不完全な問題です。答える方は,まともな答がないことは分かりますので,どのような受け答えが期待されているかを,うかがうことになります。そこで,相手の意図がうかがえないときには,「分かりません」と答えるしかありません。そのどうにもならない状況に対して,一矢報いることが,例えそれが的外れであるとはいえ,器量の片鱗を見せることになるでしょう。
 それがダジャレであるとはお笑いぐさですが,案外に真面目に取り組んでみせる余裕も有り得るかもしれません。禅問答のまねごとのレベルではありますが,分からないという返事を想定した上で,くだらない答えの意外性に,笑いを共有することがねらいです。ダジャレのユーモアを共感できれば,人と人との接点が確認できます。
 そんなことはくだらない,そういう受けとめもあります。それはそれでいいのです。こうでなければならないということはありません。いろいろな受け止め方があることが大事です。気をつけておきたいことは,自分とは違う感じ方を認めない狭量さ,侮蔑する傲慢さです。ダジャレをどう受けとめるか,見計られていることもあります。
 もう一つ。パンツをはかない魚がいるそうです。何という魚でしょうか?

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(2013年06月16日号:No.690=「こいははかない」)