《とりあえず 歩き続ける 上を見て》

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 テレビをふっと眺めていたら,初めての言葉に出会いました。リサイクルの話がされていたのですが,ダウンサイクル,アップサイクルという文字盤が目に入ったのです。何のこと? 話を聴いていると,ダウンサイクルというのは,使い古したタオルを雑巾にするといったリサイクルで,資源の使い道が価値の下流に流れていくようなイメージです。一方で,アップサイクルとは,古着の素材が再処理されて新しい服などになるといった,価値の上流に押し上げられていくイメージです。
 リサイクルをダウンサイクルと思い込んでいたことを知らされました。リサイクルはサイクルの繰り返しです。次のサイクルが前のサイクルより下になるらせんを描けばダウン,上になるらせんを描けばアップ,ということになります。元のものよりも高い価値を持たせるには,以前には持たせられなかった機能を付加できる革新が不可欠です。素材の隠された機能を引き出す手立てを開発しなければなりません。先端技術の領域になります。
 ところで,不謹慎を承知で,人を資源と捉えて、リサイクルを考えてみます。還暦という考え方を,人生のサイクルとみなすと,第二の人生はリサイクルに相当します。あるいは、定年退職を機にリサイクル人生に入ると考えることもできます。そこで,そのリサイクルが,ダウンかアップかという問題が出てきます。ぬれ雑巾扱いをされるのか,張りのある布地として頼りにされるのか,隠れていた才能を開花させるかどうかで決まります。才能を自ら開花するのか,期待を受けて開花させられるのか,置かれた環境に依りますが,少なくとも,上昇志向がなければ,アップサイクルはあり得ません。
 高齢社会の進展が,どちらかというと人材資源の老朽化,不要資源化というイメージで語られます。人材資源としてリサイクルを考える必要もあるはずです。第二の人生を付録のようにイメージするのではなく,正真正銘の第二の人生として真摯に意識することが求められています。
 月日は巡るといいます。毎年が繰り返しやってきます。人がそのサイクルをアップサイクルにすれば,人は育っていくことになります。らせん状に登ってきた人の歩みが,歴史という記録になって,人類の知的遺産が積み上げられてきました。生きるというのは,らせんを登っていくことです。

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(2013年06月23日号:No.691)