《何事も 程を過ぎれば ぶちこわし》

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 病院の受付で,番号で呼ばれた患者さんが,囚人ではないとお怒りになって,ブログに顛末を公開し,皆さんの顰蹙を招いてしまい,多数の声に責められて,命を落とされるという出来事がありました。公人であったことが,ことを増幅させました。匿名で届けられた責める声は,「辞職しろ」と言ったが,「死ね」とは言っていないと思っているでしょう。言う方と言われる方の感じる言葉の重さが違っているから起こった不幸です。
 双方が,思っていても公言しなければ,不幸は起こらなかったことでしょう。さらに言えば,文字情報として記録するということをしなければ,一過性のこととして,波風は限定的であったはずです。ネット世界には消しゴムがないという欠点があることを,使用者は弁えておくべきです。
 生物学者がある番組の中で語っていました。人は60兆個の細胞でできていますが,皮膚や体内にいる微生物は100兆個の細胞であり,それが共存しているということです。清潔すぎる暮らし方をして,共存する微生物を排除すると,均衡が破れて人は調子を狂わすそうです。少々汚れても気にしない,そういう大らかさが人の生きる力を最も有効に機能させるようです。地球環境の中での暮らし方の最適分布から外れては,生きられなくなります。
 ちょっとした不始末を,過度に責め立てる潔癖感は,人が生きる環境を変質させてしまい,結果として自らを否定する愚に飛び込んでいきます。文明社会が発達して行く先に滅亡が待ち受けているという歴史の教訓が思い起こされます。あらゆることは程ほどでいい,人はその中で生きられるように設計されていると考えることができます。完全さを求める欲望を抑え込む嗜みが消えたときに,不幸が生起します。
 熱くもなければ冷たくもない,高くもなければ低くもない,重くなければ軽くもない,大きくもなければ小さくもない,強くもなければ弱くもない,良くもなければ悪くもない,賢くもなければ愚かでもない,堅くもなければ柔らかくもない,清らかでもなければ汚れてもない,人という存在はそういうものです。だからこそ,人は普通であることに安らぐのです。

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(2013年06月30日号:No.692)