《この頃は まさかと思う ことばかり》

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 人が人の命を奪うという事件が途切れることなく報道されます。スペインでは列車のドライバーがスピードに挑むという無謀さを発揮して事故を起こしています。隣り合わせに居る人が自分のことしか考えていない人だと思うと,おちおちのんびりとしては居られません。自分のことだけ考えて周りの人と無関係な状況であれば,お好きなようにと無視していればいいのですが,周りを自分のために利用するという身勝手さが出てくると,迷惑至極です。
 自分の思い通りにならないのは周りのせいだと勘違いしたり,周りの人を自分の意のままに動かせると錯覚したり,自分をご主人様と誤解するような幼稚な段階で発達が停止しているとすれば,とても危険です。幼児の幼稚さは織り込み済みですが,大人の幼稚さは想定外なのです。明らかな悪人であれば避けるという自衛行動ができますが,普通の大人のふりしてその実あくどい人は警戒警報が出ていないだけに,対応が遅れがちです。飲酒運転などが典型的な例です。
 自分の至らなさを自覚していれば思い上がることなく自重できます。よい意味で人は人,自分は自分という自立性と独立性を意識していれば依存に耽ることなく抑制できます。人は自分の思い通りにはならない,それは自分が人の思い通りにはなっていないことから明らかなはずです。そういう人間関係の相対性を弁えているのが大人の嗜みです。
 近年のメディアによる感化によって,人はとても気が短くなって切れやすくなっているといわれます。ちょっとしたことで頭にきて人を殺害するといった短絡行動に至ります。堪え性がないということでの幼稚化の浸透です。消費社会の進展は堪え性なく宣伝に振り回される大衆を育てていきます。お客様は神様というへつらいに乗っているうちに,すっかりお馬鹿な大人に洗脳されてしまったのでしょう。さまざまな警鐘があったにもかかわらず,この体たらくはどうにもしようがありません。
 幼稚であることが自己責任の中に封じ込められているうちはいいのですが,とばっちりを受けてしまう人が出てくると悲劇です。バカな列車運転士のために起こった事故で亡くなった方たちにはその無念さを想像するだけで胸が痛みます。まさか無茶な運転を何の疑問もなくやってしまう運転手の列車に乗っているとは誰も思わないでしょう。そんなはずはない,と思う善良な人たちが事故に引きずり込まれる不幸は無くさなくてはなりません。隣人に怒りを向けられているかもしれないと思わなければならないとしたら,不安な暮らしは地獄になります。嫌な世の中になってきたものです。

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(2013年07月28日号:No.696)