《あれこれと 議論が多く 始まらず》

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 時々自分はいい加減な人間だなと思うことがあります。食事は空腹を満たせばいいと思っているので,テレビの番組の中で料理について味や素材のうんちくが語られても,何の関心も湧きません。どこどこ産の高級素材で云々ということに無縁であるという貧しさもあるのですが,日々食事を美味しくいただいているので,これ以上に美味しくといった欲は出てきません。一事が万事,世間のあれこれが,細かな差違に拘りすぎているように感じています。衣食住,間に合っていれば十分という感覚です。
 暮らしの基本的な部分だけではなく,物事の考え方ややり方も,完全な形でなければ先に進めないといった方々に包囲されているようで,ナント面倒なことに拘るのかと,勝手に呆れています。多少の曖昧さがあっても,やってみることで,自然に上手くいくだろうと思っているので,じれったくなります。神ではない人間の考えることは不十分でしかないので,思慮不足を見つけるためにはやってみればいいので,支障が出た時点で修正をしていけば,ふらつきながらも前に進んでいくはずと思っています。
 ある組織で,新しい試みを始めようとしています。世情の流れの中でやらなければならないという判断をして,提案がされると,何をどこまでどのようにするか,すべての人に納得される必要があるという意見が出てきて,ブレーキを掛けます。全体のことを考えているかのごとく装った発言ですが,実のところは自分で考えてみようという気はさらさらなくて,分からせてくれという要求です。自分はここまでは分かるが,この点がよく分からないので,説明をして欲しいというのではなく,丸ごと分からせてほしいというのです。
 子どもが宿題をしているとき,どこが分からないかを問われて,どこがというのではなく全部と言っているようなものです。宿題を出す前に必要なことは十分に話していたはずですが,馬耳東風で理解しようというスイッチを入れていないので,お手上げな状態です。事前の手当が拙いために理解させることができなかったという不手際もあったかもしれません。それなら,質問をすればいいのですが,何も聞かされていないという対応をされます。
 ああしろこうしろというのではなく,これについてはこちらで考えるからあれについてはそちらで考えてほしいという提案があればいいのですが,全部を押しつけようとしてくるので,承る側は大変です。もっとも,提案する方も準備不足で,具体的なポイントを予め選んで協議を運営していないという手落ちも見られます。段取りを想定していないと,協議の差配は失敗します。一線を置いた立場であるために,介入することは避けますが,もっと大らかな話が交わされてもいいのではと思います。

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(2013年08月18日号:No.699)