《人と人 誠意を示す 贈り物》

 母の日にはカーネーションを贈る習わしになっています。ところで,この定番は贈る側に義理で済ませたと思われないかという取り越し苦労を抱かせてしまいます。バレンタインデーの定番であるチョコが義理になっている例もあります。そこで何か目新しいものをという欲が出てきます。母のことを特別に本命として考えたという思いを込めたくなります。昨年は花で作られた犬をプレゼントしましたが,今年は好きな果物の初物を届けました。喜んでもらえるとうれしいものです。ただ欲を出したツケが来年に回ってきます。今度はどの線でプレゼントを選ぶかと悩むことになります。いまさらカーネーションに戻れなくなりました。母にはそんな気遣いは無用でしょうが,贈り物とは難しいものです。
 贈り物とは受け取る方が期待するものではありません。それは品性を卑しくすることになります。記念日にプレゼントがないと言ってふくれるのは身勝手です。親しき仲にも礼があると誠意を示すことを強要するような言動は慎んだ方がいいでしょう。贈収賄のようにお互いに下心があれば別ですが。そう言えば恋という字は心が下にあります。
 母の日に若妻が実家を訪ねていました。プレゼントは先渡しをしておいたので,その日は明るい笑顔だけを贈りました。やがて迎えの約束をしていた夫が来てくれました。出迎えた妻は夫の姿がかすかににじんでくるのをどうしようもありませんでした。「おかあさんに」とさりげなく花束を差し出す夫の優しさを両手の中に思いっきり抱きしめました。もちろん母親も喜んでくれました。おそらく娘が愛されていると確信できた喜びの方が大きかったことでしょう。何でもない小さな出来事ですが,それを素直に心で受け止めている若妻は愛を知っています。なぜなら,愛という字は受けるという字の中心に心を書き込むからです。贈り物は相手を思いやっている確かな証拠であり,目には見えない気持ちを信じさせる力を持っています。こんな素敵な贈り物がしたいものです。  
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年5月21日号:No.7) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです