《問題を 見つけたあなたは 解けますか?》

 世間には何気なく聞いていると分かったようでいて,その実よく分からない物言いがあります。例えば大きさを表すときに東京ドームの何倍と言われますが,その東京ドームを見たことがない人には分かったようで分かりません。
 街角で横断しようとしているお年寄りが,車の流れに圧倒されて立ちすくんでいます。沢山の人がそばを通りかかりますが,だれも手を貸してくれません。やがて一人の少年が気付いて,一緒に通りを渡っていきました。この話が先生から紹介されて,子どもたちの感想がたずねられました。困った人を見過ごしにしている大人は薄情だとか,お年寄りをわざわざ渡してあげた少年が偉いといった意見が出た後,「この話を書いた人が一番悪い」と言う子どもがいました。「その人はお年寄りが困っているのをはじめから見て知っているのに何もせずに,少年が助けるのを黙って見ていただけだから」という訳です。
 巷間ではいろんな噂話が交わされています。中には人を虚仮おろしている話もあります。そばで聞いていていつも秘かに思うことは,「それほど言うのなら,あなたがしたら」ということです。自分では何もしようとせずにただ人をあげつらう物言いはどう考えても卑怯にしか思えないからです。
 本を読んだり話を聞いたりする場合,状況が詳しく分析され,あるべき姿が提示されます。なるほどと思うのですが,よく考えると問題提起に過ぎないことが多いようです。問題解決の手がかりが欲しいのに,「こんなに問題は山積みしています。一つ一つ焦らずに解決しなければなりません」と結論づけられては,ぐるっと一回りして振り出しに戻っただけで一歩も先に進んでいません。問題はだれだって知っています。大切なことは解ける問題を見つけることです。解ければ事態は一歩前に進みます。誰かに解決してもらおうと思って見つけてくれる解けそうもない問題はだれも解こうとしませんし,それは意味のない情報です。よい問題とは自分が解くつもりで見つけなければなりません。  
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年5月28日号:No.8) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです