《有難う 使い古して 意味褪せる》

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 ありがとうというお礼の言葉があります。漢字で書くと,有難うとなり,有ることが難しいことと納得した上での感謝の讃辞です。その前提は,無の世界です。あらゆることが無であることを普通であると想定して,有であることを感謝する生き方があります。
 高齢者が逆境においてさほど動じないのは,戦中戦後の無の世界を感性のベースにしているからです。無くて元々という風に感じているからです。世間は豊かさを追い求めているうちに,有ることが当たり前になって,もっと欲しいという欲の連鎖に取り付かれています。その世情がどこかおかしいと感じ始めて,エコやリサイクルといったブレーキを掛けようとしています。資源は有限であるという発想がいかにも新しいもののように受け止められているようですが,実のところは,無から始まっている本来の人の暮らしを忘れていただけのことです。
 食生活でごはんを食べなくなって,肥満気味になっています。昔の食生活の内容が良かったということではなくて,食の楽しみ方が自然であったと言えます。すなわち,ごはんを食べると,味覚がほぼ無味にリセットされます。薄味のおかずでも十分に美味しく味わうことができます。ごはんを食べなくなって,味に味を重ねるので,より濃い味にしないと感じなくなっています。味覚の豊かさという勘違いに踊らされて,不自然な食事になってしまいます。健康であるはずがありません。
 美人高校生が,ストーカーにより命を奪われるという悲劇の主人公になりました。親御さんの悲しみを思うと,気持ちが重くなって痛みます。付き合いを断られて,復縁を迫っていたようですが,人の付き合いも,無が常態であると弁えておくべきです。付き合いがないのが普通で,しばしの間でも付き合いがあれば,自然に無に帰る,それでよしとすべきです。無になれば,新しい付き合いが始まります。人の付き合いは縁であると思うこと,それは無から有を有り難いと受け入れることです。縁が切れても,そこから新しい縁への待ち状態に入るのです。
 この世は無常であるという思い方,無が常であると考えていれば,心穏やかに過ごせるはずです。無常という言葉は,古めかしいのですが,人が自然と真摯に向き合っていた時代の人が見出した大事なスタンスであるとみなすべきでしょう。曇った目だからこそ古めかしいと見えていることに思い至る怜悧さを持たなければなりません。初心に返るという言葉がありました。人の物事の感じ方や考え方は,行きつ戻りつを性懲りも無く繰り返しているのかもしれません。歴史は繰り返すという事象として,そのことが立ち現れているようです。

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(2013年10月20日号:No.708)