《写し身の 寒さを感じ 憐れみが》

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 店舗の前に幟が立てられて,風にはためいています。信号待ちの車から,何気なく左手の窓を覗いた先に,幟にプリントされた若い女性の姿がありました。今年一番と予測された10°以下の気温の中で,少し寒いという気分になりました。車中ですので,寒いということはなかったのですが,条件反射をしたようです。
 種を明かすと,幟に映し出されている女性の姿が,ノースリーブの軽装でした。今の季候とは不似合いのいでたちであり,とっさに寒そうという感情移入をしたようです。実在の人ではないのでおかしなことではあるのですが,それは理性的な判断をするからです。ミネルバのフクロウが後知恵であるということを思い出しておきます。
 季節外れの姿が映し出されている幟を掲げているという無神経さをさらしている店舗に,心遣いの不足を見てしまいます。通りすがりの人や訪れる人に寒そうという気持ちを引き出して,幟といえどかわいそうにと思わせてはいただけません。考えられる事情は,幟の機能としては書かれている文字情報の方が大事であり,それは季節に無関係であるということであるのでしょう。目を引く機能としての若い女性の絵柄が季節外れであっても,大して問題ではないと判断されたのでしょう。もっとも有り得ることは,季節ごとの幟を掲げる経費的な余裕がなかったということもあります。
 別の観点が浮かんできます。プリントされた女性の身内,特に父親はどう思うだろうかということです。もしも自分の娘の姿であったなら,とてもかわいそうで見ていられず,一方で許しがたいと思ったことでしょう。何処まで感情移入をするか,きりがないので,この辺で止めておきましょう。街の景観の一隅にある一枚の幟,おそらく数十枚か数百枚かそれ以上の数が国内にあるのでしょう。同じ思いで見た人も何人かいたはずです。その中に関係者がいたら幸いです。

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(2013年12月01日号:No.714)