《音楽を 喜ぶ身体 弾み出す》

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 昭和の歌謡曲という番組を見て,一緒に口ずさんでいます。紹介されるどの歌も何となく覚えているような感じで,歌手の声に重ねて歌い,一人酔いしれています。そんなとき,どうしてだろうと,ふと考えます。人間にとっての音楽とは何だろうと。歌詞という言葉が描く世界とメロディとは分けて考えることもできるでしょう。交響曲や協奏曲のように歌のない音楽も好きで聴いているからです。
 好きな歌ではあるのですが,歌詞を知らないというものがあります。うろ覚えのパートは,ハミングをしています。それでも,楽しんでいます。通の楽しみ方からすれば,全く論外で,楽しんでいるなどといったら,作詞家に失礼だと叱られそうです。それでも,曲の方はしっかり覚えているので,作曲家には叱られないのでは,と高をくくっています。作詞家の方には申し訳ないのですが,詩が気に入って覚えた曲はほとんどありません。メロディが好きで,口笛でなぞっているだけでいいのです。
 演奏を聴く機会があると,おとなしく耳を傾けてはいません。体を曲に乗せるといった感じで浮ついていると,幸せな気分です。もちろん,周りの迷惑にならないように,気持ちだけ浮ついて,体は静かにしています。それでも,手先や足先は拍子を取ってしまっています。リズムとメロディのうねりが体と共鳴する,音楽によって身体が自らの存在を鼓舞しているように感じます。
 世界中の風俗習慣・文化の異なる世界の音楽が,等しく皆が受け入れることができる不思議さは,あらためて考えると驚きです。国際化という現象は,音楽の世界では先行していたのです。バベルの塔で受けた神の怒りは,音楽には及ばなかったようです。誤って開いてしまったパンドラの箱の中にかろうじて残されたのは希望であるといわれていますが,希望の裏に音楽が張り付いていたと思うことができそうです。
 いろんな御縁でつながる方たちとの集まりで,カラオケを楽しむ機会があります。かつては誰かが歌っていると,手拍子を添えて邪魔にならない程度の合唱をしたものですが,最近は歌っている人と独唱状態です。皆は自分が歌う歌の番号を探したり,歌はそっちのけでお隣と駄弁ったりして,その場で歌われている世界から自分の体を隔離しています。音楽に漂うことで,体を喜ばせるチャンスがあるのに,と思います。自分が歌わなくても,歌ってもらうことで,楽しむようにしています。

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(2013年12月22日号:No.717)