《安心の ために余分な 備えして》

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 冷蔵庫がいっぱいであると安心する,という言葉をCMか何かで聞いたことがあるような気がします。冷蔵庫と直接の関わりがないので,そんなものかなと思っていました。今必要でなくてもやがて要りようになることに備えておくことで,気持ちにゆとりが生まれてきます。足りなくなるという不安が払拭されて,安心モードに入るということでしょう。安心ではない,不安であるということは,先行き不安という言葉の通りに,現在以後に訪れる状況に対しての備えに自信が持てないという心境です。備えあれば憂いなしです。
  物置や倉庫にはいずれ使うかもしれないという品物が納まっています。一度も使っていないものも少なくありません。そういうものを目にしたとき,考えます。今まで使わなかったものであるからこれからも使わないであろう,今まで使わなかったからといってこれからも使わないとはいえない,これからについてどちらの考えに与するかで,逆の対応になります。前者が断捨離,後者がもったないという新旧の暮らしの知恵です。旧いとお思いでしょうが,勿体ないから逃れられません。
 もの不足ではなくてものが満ちあふれている,それが豊かさであり安心です。ところが,食べ物でいえば飽食という状況があります。有り過ぎて有り余ってしまうということです。一個人や一家庭ではなく世の中で,使わないものがあって無用になって廃棄するほどになっています。安心を通り抜けています。飽食という言葉は五感という経路を辿って伝染していくかもしれません。飽視,飽聴,飽嗅,飽触,発症していないか確認してみましょう。情報社会の中では,視聴はあふれています。匂いも消臭,芳香で包まれています。衣服の肌触りも天然素材より合成素材でより柔らかなものばかりです。
 ある物事に関する情報を知りたいとネットで検索をします。たくさん出てきます。適切な情報を探している中で,少し視点は違うが関連する情報に出会います。参考になるかなと保存したり印刷したりしています。必要になったときに再検索すればいいのですが,手元に置いておきたいという気持ちが働きます。こうして今は必要でない余計な情報が身近な所に蓄積されていきます。分類はしているので,必要なときには利用できるのですが,大部分が死蔵状態になっていきます。
 自分の身の丈以上なものを手に入れても,身に余ることになり,結局は無駄になります。先行きに備えて安心したいという思いは,ほどほどにしておいた方がよいようです。年末は,新しい年に向かって身の回りの整理をするときです。

皆様にはよい年をお迎えくださるようにお祈りいたします。

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(2013年12月29日号:No.718)