《何気ない 言葉の刃を 受けそこね》

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  逆鱗に触れるという言葉があります。龍の首筋には逆向きになったウロコがあり,そこに触られると龍が怒るそうです。人の心にもそのような敏感なウロコがあるようです。ちょっとした一言がグサッと刺さるという経験は誰でも持っていますが,そこが逆鱗なのでしょう。つきあいの上で始末が悪いのは,人それぞれの逆鱗が隠されていることです。
 でもよく気をつけていれば,皆目見当がつかないということでもありません。人に触れられたくない所とは,最も触れられたい所の裏に潜んでいます。その人が最も大事にしていることや拠り所としていることをひっくり返されそうになるとき,あわてふためいて異常なまでの防御行動に走ることがあります。逆鱗とは人に触られたいところの裏にあるので,うっかり手をぐいと差し込まないことです。
 夫婦の間でお互いに必要な存在と信じていた妻が,夫が酔ったときに「お前と一緒になったときは,仕事に落ち込んでいて,誰でもよかった」と漏らした一言で,気持ちが裏返ってしまいます。心の中にしまい込んでいた「なぜ私のようなものが選ばれたのか」という不安が逆鱗であり,だからこそ心から夫に尽くしてきたのでしょう。
 親子の間では,出来ちゃった結婚の子どもも,年頃になってよそのおばさんに何気なく「実はね,あなたは…」と話されたら,心の傷になるでしょう。子どもにとって自分を信じる根拠は,親に望まれて生まれてきたということだからです。自分はなぜ生きているのかという存在の理由を納得しなければ,生きる意欲は出てきません。自分は出来ちゃった子だと知らされることは,子どもの逆鱗に触れることです。
 人は誰でも自分の弱さを隠し取り繕い,そこに最も良いものを被せてカムフラージュしようとするものです。ひょうきんな人は寂しがりやであったり仲間はずれがこわかったりしています。世話好きな人は他人が自分をどう思っているか気にしているところがあります。別にそのことを恥じる必要はないのですが,その弱さを自分の励みとしてまっすぐ生きるようにすれば,自らの逆鱗を幾分かは鈍感なものに変えることができることでしょう。
 誰も他人の逆鱗に故意に触れようとはしません。しかしときおり売り言葉に買い言葉となってしまうことがあります。嫌なものは買わなければいいのですが,感受性が鋭いとなかなか難しいかもしれません。ぼんやりとした受け答えができたら,懐が深くなり,逆鱗に触られることも少なくなります。

(2001年08月19日号:No.72)