《じっくりと つきあうことで 面白く》

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 家が片付かないから断捨離といわれます。断捨離できるほどの物持ちであればいいのですが,捨てれば何もなくなるので,捨てられずにいます。古くなってくると,あちこちにがたが生じて,調子が悪くなります。修理や部品の交換などをしてなんとか凌いでいます。
 珍しく断を下して廃棄したモノがあります。銅製の卵焼き器です。器は損傷をしてはいないのですが,使う方が損傷を受けるので,決別をして,新しいモノと交代しました。取っ手が銅製の太い針金を曲げた作りでむき出しのままで,火に掛けると器具と同じ熱さになります。布の鍋持ちを使っていたのですが,調理を終えた後など,火を消したという思い込みから,まだ冷えていないのに,時折うっかりと素手でむき出しの取っ手を持とうとします。連れ合いが何度かそういううっかりをしでかすので,廃棄することにしました。
 それにしても,こんな危ない卵焼き器をどうして無批判に手に入れたのか,思い出せません。赤みを帯びた銅の輝きに目くらましをされて,買ってしまったのかもしれません。使う者の身になって考えると容易に危ないと分かっていたはずと,後悔をしています。
 洋服はすり切れたり破れたりしたものを始末することがありますが,かなり長い付き合いをしています。父親のお下がりがけっこう活躍しています。体型がそれ程違わないので,なんとか着こなせています。身嗜みに拘ると,ファッションの古さがあるかもしれませんが,着られればいいという無頓着のせいで,全く気にせずに,着続けています。イチゴのパックを捨てずに刻んだ料理のネタ入れに一時使用するなど,便利に使っています。かまぼこ板も,木の棒や板が要りようなときに代用できます。何かに使えそうという目で手元にあるモノをみているので,結構面白く付き合うことができます。
 基本的に勿体ないという判定を優先するのが習い性になっていて,捨てるのはかなり慎重です。そうはいっても,何も捨てられないと,ゴミ屋敷になりかねません。もちろん,ゴミはあっさりと捨てているので,そういう心配はありません。ということで,何を以てゴミと判定するかということが,問題となります。
 ところで,断捨離の対象は,私にとって用をなさないものということであり,誰にとっても用をなさないもの,つまりゴミという判定ではないのだと思います。ゴミは捨,不要なものは離という選別の多様化ですが,そのためには,多様なものの流れが必須です。ゴミを捨てるというルートしか想定していない限り,断捨離はできないことになります。豊かな社会の暮らしぶりに馴染む努力をすべきかもしれません?

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(2014年01月12日号:No.720)