《違い見え 視野の広がり それぞれに》

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 ある会議に出席して,意見の交換を聞きながら,なんとなくあれこれ考えていました。意見の内容はそれ程深刻なものではなく,どうでもいいようなことでしたので,別のことを思い巡らしてしまいました。
 人は経験に基づいた発想をするものです。経験していないことは存在しないので,考えることができないからです。井の中の蛙は,外の世界を見たことがないために,外の世界の存在を想定できません。自分は世界すべてを知っていると思い込むのは自然です。ところで,外の世界に住むものと話をするということになると,そうだという了解が整わないことが出てきます。それはおかしい,という反対の意見が出てきます。当たり前が当たり前ではなくなります。
 話し合いや交渉の場では,歴史や風土から生じる経験の違いが,衝突することになります。異世界であるということが明瞭に意識されている場合は,それなりに心の準備をしているので予め対応しておくことができます。ところが,何となく同じ立場のものが集まっていると思われるような場では,個人の経験違いを見過ごしにしてしまいます。「○○である」という意見を出したときに,「そうではく,□□である」という対抗する意見が出てきます。
 話し合いの場では,出された意見の是非を判断しなければなりません。意見の違いの背景には,前提としている世界,対象の広がりの違いがあります。広い視野からはいずれが適正かという見方をすることが,合理的判断につながります。発言する側の思いと,対象となる側の思いを区別することも必要です。ともすれば,手前味噌な価値観から出てくる意見もあるからです。折角するのだからという個人の思いの押しつけも持ち込まれそうになるので,要注意です。
 幼児視野体験めがね「チャイルドビジョン」というものがあるそうです。幼児は大人と違った狭い視野を見ていることを体験することができます。大人は幼児も見えているはずと思っても,実は見えていないことがあるのだと,知っていなければ危険です。また,大人と幼児では目の高さが違うことによる視野の違いもあります。例えば,大人が小さいと見ている犬も,幼児には自分の背丈と同じなので大きく見えます。大人にとって牛の大きさ程の犬と同じになります。怖がるのも当然です。
 人は一人一人違います。同じものを見聞きしても,見えていることも聞こえていることも違います。同じことを話していても,気持ちも考えていることも違います。違っていることを認め合いながら,同じ行動が取れるように、コミュニケーションがなされます。違いを受け止める隙間があれば,経験不足や視野の狭さを修正していくことができます。違いを楽しんでみようと思う余裕を持ちたいものです。

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(2014年02月23日号:No.726)