《良し悪しを 言わぬ暮らしに ゆとりあり》

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 ある本を読んでいたら,「善,悪,無記」とありました。無記とは? 手近で調べると,仏教に関連した言葉のようで,善でも悪でもない中立的なこと,とありました。善とか悪とか決めないこと,というのもありました。
 かつて,萩本欽一の番組で,良い子,悪い子,普通の子,という言葉が言われ,流行りました。子育ての話をするときに,使わせてもらいました。子どもを見るときに,良い子か悪い子か,という2分法で見るのが大方ですが,それでは子どもはかわいそうだということを伝える時に,例として,持ちだしたものです。良い子でなければ悪い子,悪い子でなければ良い子,そうではなく,良い子でもなければ悪い子でもない,普通の子がほとんどではないかという気付きをして欲しいという思いです。
 季節の話をするとき,冬には,今日は寒いですね,夏には,今日は暑いですね,と言います。ところで,春や秋には何というのでしょう。寒いとか暑いとかの言葉に並ぶ言葉がありません。過ごしやすいですね,としか言えません。人の感度は,暑いか寒いかを感じるので,言葉を作りました。しかし,ちょうど良いときは,何も感じないので,言葉を必要としなかった,ことさら言う必要がなかった,ということです。
 人を言い表すとき,背が高かった,低かった,といいますが,そこには,どちらでもない,中背という普通の背丈があります。高い低いの間には,中くらいという状況があることを前提として言葉ができているのです。さらには,人は物事を考える道具として言葉を使っています。とすれば,最も多い,普通の,中くらいの,平凡な状況を欠落する惧れがあります。善とか悪とかに拘ると窮屈ですが,善でも悪でもない普通の状況があると思うと,随分と楽になります。仏教では拘るなと言われるようですが,普通にしていれば悩むことはないという教えなのでしょう。
 普通の状態は言い表しようがないので,見落としがちです。表現する言葉がないから,そういう状態は存在しないということになりかねません。しかし,人は自分勝手ですから,自分に都合のいいことはことさら言い表す必要もないのです。ちょうど良い湯加減ではないとき,熱いとか温いと表現して伝える必要があるのです。
 夫婦の会話でよくいわれる,奥さんの手料理に対して「美味しいか,不味いか」を言わない夫に非難が向けられます。自分の味に合わせてくれているから,ことさら言う必要がないと夫は言い訳します。無言とはちょうどよいということであり,決して,無視しているわけではないのです。

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(2014年06月22日号:No.743)