《さまざまな 人の出会いを 品定め》

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 仕事や暮らしでは,たくさんの人と出会っています。その出会いの中に,定点での出会いがあります。行きつけのガソリンスタンドのおねえさん。行きつけのスーパーのレジのおばさん。床屋さん。薬局のいつもの店員さん。それぞれの場所を離れて出会うことはありません。顔なじみになって,あいさつをするようになっても,用事以上の関わりはありません。いつもの場所にいつもの人がいる,それが暮らしの安心になっています。
 一方で,行く先々で,「また合いましたね」という形で出会う方もいます。立場は違うのですが,たまたま同じ場所に用件があったことによります。いくつかの組織の代表を承けていると,代表同士で出会う機会が多々あります。世間話を交わす程度から,少し込み入った話になることなど,状況に応じて,関わり方はさまざまです。役割に限らず,何か共通のこと,趣味や生活サイクルなど,重なり合う部分があれば,出会いの割合も増えてくることでしょう。
 もちろん,出会いは一度っきりという場合がほとんどです。たまたま隣り合わせた人,すれ違っていく人は,数えきれません。何の関わりも持つ気がないので,人との出会いと意識することさえありません。ただ,人気のない夜道を歩いているときは,誰とも分からない人との出会いを警戒するようになります。負の出会いへの用心です。人との直接の出会いではありませんが,昼間は車との突然の出会いはしたくありませんので,身を避ける気配りは必要です。
 住所不定。それは信用度に対してかなりの減点になります。一般には,四捨五入的に,不審者扱いになります。住所が明らかな人,決まった場所にいる人には,信用がおけます。いつでも確実に出会うことができるということが,大事なことなのです。関わりの確かさということができます。お店の人の立場では,一見の客か馴染みに客か,大きな違いがあるというのもうなずけます。
 年賀状を差し上げる方が200人程いるということが,推奨されます。住所の分かっている人,信用できる人が200名はいた方がよいということです。関わりの確かさ,親族以外の人とほとんどないというのでは,寂しいというより,生きていく張りが萎えていきそうです。
 最近,ツイッターのフォロアーが数百人,数千人といった声が聞こえてきますが,お互いに信頼が通う出会いになっているのか,心配になります。人との出会いについて,その有り様をきちんと考えておく必要があります。

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(2014年06月29日号:No.744)