《年輪を 刻んでいるが 意識無く》

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 朝はセミの合唱に取り囲まれています。目の前の木から近隣の木に広がる田園舞台で,アリアの交代が演じられます。主役が入り交じり競い合い,テレビの音をかき消していきます。その舞台には,声を発することなく,聞き惚れているセミの姿もあります。オスである歌手とメスである聴衆がお互いに何かを期待しながら,早朝のコンサート会場に集っています。
 新聞を取りに玄関から外に出て新聞受けまで歩く間,植木からバタバタとセミが飛び立ちます。驚かせてしまうようです。足元に動くものが目に入ります。屈んでみると,脱皮前のセミがよろよろと歩いています。セミの中にも寝坊するものがいるのかなと,近くの木につかまらせてやります。ちゃんと飛び立つことができたか,少し気がかりです。家の壁のあちこちに,セミの抜け殻が張り付いたままの状態で残っています。無事に飛び立った証拠です。
 夏が過ぎると,地面に落ちているセミが目に入ります。飛ぶ力が無く,横たわっています。木の枝に止まらせてやります。何とかしがみつく余力があるものもいれば,ただ乗っているだけで揺れたら落ちてしまいそうなというものもいます。それぞれ精一杯に生きたのだろうと,見送っています。夏の終わりの舞台となります。
 田んぼの上をトンボが乱舞しています。音もなくスイスイと風に乗って空中を散歩しています。木の枝に並んで止まっている姿も見ます。このトンボたちは今までどこにいたのでしょう。田んぼに流れる水の道は,田植えの時に水が流れるだけで,その他の季節は枯れています。少し離れたところに大きめの用水路が年中流れていますが,そこがふる里なのでしょうか。トンボが飛んでいるということは,ヤゴが住むことのできる環境があるという証です。今の環境を大事にしようと話していきましょう。
 生き物が生きているそばで,イネの緑の絨毯がグングンと厚みを増して,やがて黄色の穂を垂れるようになると,夏が終わります。「毎日暑いですね」と声を掛け合っているうちに,気がつけば風景は様変わりをしていきます。風景を眺めている鑑賞者は何が変わっていくのでしょう? 

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(2014年07月27日号:No.748)