家庭の窓
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連れ合いたちが朗読ボランティアグループを立ち上げて一年半,ようやく第1号テープが完成したようです。視覚障害の方や高齢者の方に町が発行している広報誌を音声として伝えようという活動です。試聴させてもらいましたが,文字による視覚情報を音声に翻訳することの難しさを感じました。
例えば,広報には種々雑多な情報が各ページに詰め込まれています。言葉だけが音声にされていると,聞いていてごちゃごちゃにもつれた感じにさせられます。それは文字以外の情報の処理に関わってきます。読むときは,個々の文章の全体が区切りの罫線,囲み線,段組,改頁などの空間的な配置によってなんとなく見えています。ところが聞くときは,そのまとまりがまったく分かりません。どれくらいの長さの記事なのか分からないままに聞いていると何かしら不安になってきます。また,唐突に終わりがやって来るといった感じです。
音声の世界では対象の大きさといった空間的な広がりが得にくいということです。視覚的な広がりの認知になれていると,その情報を失ったことにまごついてしまうのでしょう。それでも,文章に形式的なまとまりが備わっていると流れを掴むことができます。例えば,案内の文章であれば終わり近くには勧誘文や連絡先などが配置されているので,それとなく文の終わりを察知できます。しかし,広報の性格として文字情報を切りつめているために,言葉の流れが切断されている情報が多く,何かしら補足の効果音が欲しいといった思いがします。
広報誌はすべての人に「目を通してもらう」という課題を抱えています。読みやすい,見やすい,見たくなる広報誌が目指されて,カラーで写真を多く取り入れるという方策が採用されています。編集方針は視覚情報の重視が中心に居座っています。この写真が豊富で見やすいという視覚的特徴は,音声に変換することはできません。「行事に参加されている方の写真が載っています」などと説明するのが朗読の定型になっているようですが,ぴたっと来ないぎごちなさを感じます。ありのままを伝えるという鉄則上,余計な加工を制限されているので仕方のないことかもしれません。
あえて一つの夢を語れば,視覚的広報を音声に変換することに止まらず,聴覚的広報をはじめから作成してほしいものです。例えば,写真に代わるものとして,音の風景を伝えるようにするといったことが可能になります。聞きやすい,聞きたくなる広報,夢でしょうか?
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