家庭の窓
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夏恒例の人権講演会に出掛けました。出席を要請されるので,出席者名簿に記入をしなければなりません。毎年それなりの話を聞かせてもらうのですが,今年は後味の悪い感想を持たされてしまいました。聞くに堪えないという不快感を押しつけられた小1時間でした。
講師は,東大出身で大手新聞社に入社し70数カ国を経巡った職歴をもつ国際ジャーナリストという触れ込みの編集者でした。
アフリカの小さな国で日本の憲法条文を平和のシンボルにしているという事例を紹介し,その扱いが逆である日本の愚かさを訴えるというより叫びで始まりました。政治家のダメさを追加します。政治家の悪口を言えば正義であるかのような口ぶりが不愉快です。一事が万事といいますが,政治家すべてがどうであるかを断言できるものではないという大人の判断を放棄している物言いは,人権侵害の最たるものです。
南米の小国の女子高生へ行ったインタビューの素晴らしさを挙げて,我が国の教育制度の拙さも比較されます。そのつたない教育制度の下で自らは東大を卒業し大手新聞社に勤めてきたということを反省すべきではと思います。
総理大臣をさん付けで呼んだ後,さんを付けたくないということを言います。一国の総理大臣を公開の場で呼び捨てにする話しぶりは,礼を失することであると思わない恥をさらしています。皆さんもそう思うでしょうという押しつけが迷惑であり,聴き手をバカにしているようで,腹立たしくなります。
話全体が日本が愚かで間違っているという叫びでした。講師紹介で東大出身のエリートという触れ込みでしたので,論理的な展開を期待していたのですが,裏切られました。場末の酒場で酔っ払いがいっぱしの態でくだを巻いているとしか感じられません。与太話を聞くために出掛けてきたのではないのですが,与太話をすればいいと高をくくっている講師もいるという事例を拾ったと思い直すことにしています。
無知蒙昧の徒に愚かさを告知する使命を果たすといわんばかりの高邁な志が悪臭を放ちます。客観的な報道を心がけて,常に自分を蚊帳の外に置いていたという育ちのせいで,高みからものを言うという習性が身についているのでしょう。
国民大衆を一絡げで見てしまうことの危うさを知っているから細かな取材活動をしていながら,情報を投げかける対象である国民の多様さを疎かに扱っているのはいかがなものでしょう。
還暦を過ぎた老獪なジャーナリストが何を意図しているのか見えませんでしたが,田舎の聴衆のひとりとして単純な受け止めは不愉快,それだけでした。他山の石として受け止めるにも当たらないようです。もちろん,国際ジャーナリストとはこんな程度のものと,思うことはしません。
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